「石井幼稚園だより」No.47、
1993年6月号所収
(神戸教会いずみ幼稚園園長、
神戸教会石井幼稚園代表役員、
健作さん59歳)
”無くてはならぬものは多くはない”(ルカ 10:42)
入園式の日、といっても、いずみ幼稚園でのことです。
「石井幼稚園」に比べて、どうして「いずみ幼稚園」の3才新入園児は泣く子が多いのでしょうか。
もう始まるというのに泣きっぱなしでお母さんから離れない子もいます。
受け持ちの教師に任せて、私は4才の進級児の方で、ちょっとみんなに声をかけていました。
すると、Mちゃんに
”そんなことしているばあいじゃないでしょ”
と一言かけられてしまいました。
なかなか見事なタイミングでした。
Mちゃんもきっとお家でお出かけの時、テレビなんか見ていて、お母様にそう言われたことがあるのでしょう。
こんなセリフをどこかで一度使ってみたかったのでしょうか。満足気でした。
さて、私はそのセリフがそれからいつも心によみがえってきます。
というのは、今年の春は、教会の方でもご病人の方がいたり、亡くなった方があったり、教会の別館の建築が始まったり、年度の終わりや始めの各団体の集会があったり、相当に詰まったスケジュールで生活しています。
何が、今、大事なのか、その根本的基準は何なのか、よほど考え選んで生きないと、何か毎日ウロウロして動き回って終わっているような気がしてならないのです。
”忙しい!”と言いながら、本当に人と人との心の触れ合いがあるのだろうか。
人生の感動を味わっているのだろうか。
心が滅びていないだろうか。
何よりも、神様と心が向き合っているのだろうか。
死に向かって一歩ずつ年を重ねている、その死に打ち勝ったイエス様の命に触れているのだろうか、など思うと、Mちゃんのセリフが心によみがえるのです。
そして聖書の「無くてはならぬものは多くはない」という言葉がよみがえるのです。
お母さま方はいかがですか。
本当に大事なことを、その時、その時、選べるような子育て、生き方をしたいと思います。
神様と向き合う時間は、長いようで、短い気がします。