本日説教のために マルコ3章1〜6節について(1993 週報)

1993年2月14日 降誕節第8主日、神戸教会週報所収、
この日の説教「人をいやすイエス」岩井健作

(神戸教会牧師16年、牧会35年、健作さん59歳)

 ”安息日は人のためにあるもので、人が安息日のためにあるのではない”(マルコ 2:27)という安息日問題と”多くの人をいやされたので、病苦に悩む者は皆イエスにさわろうとして、押し寄せてきた”(マルコ 3:10)という癒しの行為との中間で、この二つを重ね合わせて述べているのが、マルコ3章1〜6節である。

 当時、ユダヤ教で安息日の癒しを考える場合、「生命の危険は安息日に優先する」という原則があった。

 だが「生命の危険」についての判断には、厳格派と穏健派の間で見解が異なっていた。

 イエスの時代は、拡大解釈をする穏健派の立場が優勢であった。

 しかし、穏健派においても、安息日に治癒が認められるのは突発性を特徴としていた。

 ところが、イエスが扱ったのは、例外なく、持病あるいは生来の「障碍(がい)」である。

 何も安息日でなくてもよい。

 ということは、イエスの行動は、律法を善意に拡大解釈してその弊害を無くしていこうというのではなく、安息日律法に対して違反行為を行ったことを意味する。

 癒しについて、ユダヤ教のラビたちは、病気や「障碍(がい)」を癒すのは、究極的には神のみの成し得るわざであり、ラビたちはそのために祈ることが務めであった。

 ところが、イエスは奇跡物語が報告しているように、唾(マルコ 7:33、8:23、ヨハネ 9:5)、泥(ヨハネ 9:5)、按手(マルコ 8:23,25)、指(マルコ 7:33、ルカ 11:20)人祓い(マルコ 5:40)、呪文めいた命令(マルコ 5:41、7:34)などを用いて、当時の風俗の世界に根差した「医者」(当時は社会的にも低い存在で、自然治癒を促す加持祈祷やまじないの類であった)と同様なことを行ったのではないか、と思われる。

 しかし、イエスの場合は、自分自身の権威と責任において、非職業的に(報酬なしで)、「神の国」を宣べ伝える宣教のわざの中で、求めに応じて行ったと思われる。

 そこには、律法違反の罪の結果が病気だ、という宗教的・社会的な意味付与を破り、「祈る」だけではなく、人格的関わりでその人の病に打ち勝つ力を引き出し、実際の癒しを行った、という2点において、ユダヤ教正統主義を超える、急進的・根本的な行為があった。

 マルコの著者は、伝承とは別に「殺す」(マルコ 3:4、3:6)という言葉に、パリサイ派のイエスへの殺意を盛り込み、12章13節にあるイエス殺害計画に組み込む編集をした。

 ラディカリストは、いつの時代でも喜ばれないが、自分の十字架を避けてはイエスと出会うこともない。

 ここは大事だ。

 (1993年2月7日、神戸教会週報 岩井健作)



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