「リーフ・バイブル・コメンタリー」について(1993 週報)

1993年2月7日 降誕節第7主日、
神戸教会週報所収

(神戸教会牧師16年、牧会35年、健作さん59歳)

 この間、東京で小さな出版記念会が行われ、私も出席しました。

 刊行された本の名は『リーフ・バイブル・コメンタリーシリーズ マルコによる福音書』。

 著者は、私たちの教会にも来ていただいたことのある大貫隆さん。

 編集発行は、少し長い名前ですが「日本基督教団 宣教委員会『”現代の宣教”のための聖書注解書』刊行委員会」というところです。価格は二千円。

 出版記念会では、二人の方の読後の発題があり、いくらかの協議、そして懇親、スピーチといった楽しいものでした。

 参加者は刊行に携わった主催者側、著者、読者など多彩でした。

 私たち関西の顔ぶれや、また神戸教会で講師をして下さった先生たちもおられました。

 例えば、荒井献、勝村弘也、桑原重夫、菅澤邦明、西原基一郎、新免貢、平山武秀、庄司宣、安田和人諸氏などです。


 この注解シリーズを計画した宣教委員会は、1970年代の青年たちによる日本基督教団への問題提起を受けて、それを教会の領域で、そしてその日常的な営みの事柄として取り組んできました。

 一方で、第二次大戦下の教団の戦争協力の後始末を一つ一つ行い、他方で、現在、教会が気付かないうちに、伝道や奉仕の名で、結果的には強い者優先の国家政策に協力してしまっている在り方に歯止めをかけていこうとする方向でした。


 そこで教会の日常的な営みと言われている事柄にはたくさんのことがありました。

 プロテスタント教会では、聖書がその根底にあります。

 教団の諸教会でも、実に多様な読まれ方がされています。

 それをありのまま受け止め、どれか一つにまとめるというのではなく、聖書の読み方のつき合わせ、ということを教団の宣教協議会などでやってきました。

 聖書はこう読まねばならない、という「聖域」に立ち入って、どうしてそのような読み方が出てきたのだろうか、と歴史の文脈のそれぞれの段階を一応踏まえてかかることで、逆に、現在の教会が置かれている抜き差しならない宣教の場への関わりを見定めていこうということでした。


 大貫隆さんの「マルコ福音書」を見る目は、マルコの著者が、彼の現実の宣教の場(紀元70年代、パレスチナ周辺)で、そこの場を一旦離れて、ナザレのイエスの「宣教の現場」(マルコから見れば「歴史的現場」)へと思いを潜めていくことが、信仰にとって不可欠なことだという営みを、この著作でやっているのだ、という視点です。

 だから、繰り返し何回も、その歴史的現場へと身を潜めることが、聖書を読むことで大切なのだという促しを与えています。

 (1993年2月7日、神戸教会週報 岩井健作)


1993年 説教

1993年 週報

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