二つの支配力《ローマ 8:1-11》(1992 週報・本日説教のために)

1992.5.31、神戸教会
復活節第7主日

(神戸教会牧師15年目、牧会34年、健作さん58歳)

 先日、医師のI氏にお会いした。

 自ら病気を抱え込んでおられる方であるが、比較的お元気で、日常の活動もされている。

 その折、こんな話をされた。

 「病気の治療には、同治と対治とありましてね、対治というのは、病気の原因を取り除くなり、やっつけるんですが、同治というのは共存共栄というか、病気と仲良くしてやっていくんですよ」。

 その話を聞きながら、I氏の「闘病」に、更にはその日々の信仰の闘いに、祝福を心のうちでお祈りした。

 そして、ローマ人への手紙 8章11節を想った。

 「もし、イエスを死人の中から蘇(よみがえ)らせた方の御霊(みたま)が、あなたがたのうちに宿っているなら、キリスト・イエスを死人の中から蘇らせた方は、あなたがたの内に宿っている御霊によって、あなたがたの死ぬべき身体(からだ)をも、生かしてくださるであろう。」

 ”もし、イエスを死人の中からよみがえらせたかたの御霊が、あなたがたのうちに宿っているなら、キリスト・イエスを死人の中からよみがえらせたかたは、あなたがたの内に宿っている御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだをも、生かしてくださるであろう。”(ローマ人への手紙 8:11、口語訳)


 それはさておき、私はちょうどその日、締め切りの迫った雑誌原稿のテーマを頭の中に抱え込んで、持て余していたが、「同治と対治」という言葉がひらめきを与えてくれた。

 そのテーマというのは「宗教者・宗教教団の戦争責任の問題をめぐって ー キリスト教界から」であり、仏教・新宗教などと並べて掲載されるという。

 過去の戦争協力の事跡をあげて、それについて「戦争責任告白」がなされた、と客観的な事実描写をするのは易しい。

 しかし、「何故、戦争協力をしてしまったのか」、その宗教の無力さを、根本的に抱え込んで「同治」していくのでなければ、現在このテーマを考える意味がない。

 だから、本来その宗教の教えは「平和」に通じるのだけれども、宗教心や教理(教学)への理解・実践が足りなかったから戦争協力をしてしまったのだ、我々の病根を今こそ「対治」しなければならない、という考え方では解決しないのではないか、等々の示唆を与えられた。


 さて、ローマ書8章であるが、この章にはやたらと「霊」という用語が用いられている。

 1章〜7章で5回、9章〜16章で8回に対し、8章のみで21回である。

 これはあの7章で述べられた人間の苦悩の問題を受けて、何よりもキリスト者の生き方は神の霊の力に支えられて成り立つことを述べているためであろう。

 パウロのいう「肉」は、自己完結・自己完成の生き方(律法による義)である。

 この法則(律法)からの解放は、それを成し遂げて下さった方(神、3節)に結びつけられる以外にない。

 肉に結びつくか(「思い」6節)、霊に結びつくか、その二つの支配力の間にあって、生活の細部での二者択一の戦いが、「今や」、決定的に「霊」の方に有利な状況だと告げているのが、このローマ書8章である。

(1992年5月31日 週報掲載 岩井健作)


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