女性像の遠景(1991 神戸教會々報 ㊸)

神戸教會々報 No.131 所収、1991.7.7

(神戸教会牧師 健作さん57歳)

心の清い人たちは、さいわいである。彼らは神を見るであろう。 マタイ 5:8


 兵庫県立近代美術館が、この春から夏、「小磯良平遺作展」を開催した。

「小磯画伯は、23才で帝展特選を果すなど、はやくから才能を発揮し、85才で他界するまで、卓抜なデッサン力を基に、香り高い気品と清澄感にあふれる数多くの秀作を生み出しました。なかでも生涯のテーマとした女性像にみられる清楚で典雅な画境は、見る人の心をひきつけ、大きな感銘を与え続けてきました」と主催者側は語っている。

 その会期中、「小磯良平とキリスト教」をテーマとした講演を依頼され、お引き受けはしたものの四苦八苦した。遺族の嘉納邦子さんをたずねたり、日本聖書協会の中村さんに「口語聖書の挿絵」制作当時のことをうかがったり、児玉浩次郎牧師夫妻をはじめ、教会内外の多くの方々からの、聴き取りを素地にして、さらに、島田康寛、中山公男、増田洋、岡泰正、山野英嗣、河北倫明、山脇佐江子、諸氏のすぐれた論考や研究に教えられたところを用いさせてもらった。

 こんな役が廻ってきたと、竹中正夫教授に話したとき、「何よりもあなたの経験した素朴なエピソードを中心にすることが大事だ。そして小磯家や岸上家のキリスト者像と、その背景になっている神戸教会を広く知らせてはどうか」とアドヴァイスも受けた。諸兄姉の支えで責を果たした。


 作業をしているうちに、色々な新しい着想も与えられた。例えば、神戸教会のキリスト教の系譜は、プロテスタンティズムでも、ピューリタニズムの伝統が強いのだが、神戸に定着した時に三つの流れとして現れたことだ。

 第一は、男性の系譜。グリーンや歴代牧師・男子信徒。伝道、教会運営、文化運動、殖産事業などが担われた。松山高吉、鈴木清、村松吉太郎、小磯吉人、森田金蔵。働きとしてはYMCA、赤心社などの流れだ。

 第二は、女性の系譜。タルカットとダッドレー。婦人信徒。教育、福祉、教養などが担われた。甲賀ふさ、小磯英、金森こひさ、渡辺常、和久山きそ。働きとしては神戸女学院、頌栄保育学院などの流れだ。

 第三は、弱者の系譜。弱者ゆえに名はない。社会、連帯、実践などが担われた。矢野彀(やごろ)、水谷愛。働きとしては神戸真生塾などの流れだ。

 小磯良平のキリスト教は明らかに第二の流れに属する。タルカット書簡には「忍耐、機敏さ、正直、まじめ、聰明、克己心」が少女たちへの教育に目ざされたとある。教会名簿で調べると、そのような信仰と人格を宿したと思われる小磯兄に身近な女性達の名が見られる。岸上小松(実母)、同りき(祖母)、小磯英(養母)、同ミト(養祖母)、加えて渡辺常(英の友人)、落合敏子(また従姉妹「T嬢の像」のモデル)、小磯貞枝(妻)など。

 典雅で端正な作風に、私は匿名化され、内面化されたキリスト教を見る。多くの女性像に示された的確な写実描写には、女性を通して永遠を注視する「目」を感じる。自分を律し、厳しい精進を重ね、洗練を極めた技法の背後には、洋画の正統をたどった「指」がある。神を見つめつつ歴史を刻む「信仰」とのアナロジーがその作品の一つ一つに滲む。

 モダニズムを呼吸した小磯さんには、養母のピューリタニズムへの抗いがあったであろう。しかし、聖書の美しいイメージ「母子像」「葡萄」の絵皿を教会に寄贈し、養母の死を記念した。

 小磯さんの画いた口語聖書の挿絵「十字架」には、母に寄り添いつつ壁かげから、そっと十字架のイエスを見つめる少年がいる。ふと、小磯さんではないか、という気がする。

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