神戸教會々報 No.118 所収、1988.3.27
(画像は手彫りの十字架 by 健作さん54歳)
”神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを知っている。”(ローマ 8:28)
木彫の十字架を彫ったのは初めてでした。
望むべくもありませんが、ルオーの作品がもっているような線が太くて、柔らかいイメージで、くしき光がほのかに感じられるようなものを作りたいな、と思いました。
Mさんが肝臓癌でかなりお悪いということをお聞きしたのは、昨年の夏7月だったと思います。
人生をご自分の信念と意志で、一途に強く生き、精力的に仕事を追う方でした。
第一の人生、第二の人生を十分に生き切って、第三の人生へと歩み出されていました。
世の指導者としても、多くの人たちから尊敬されている方でした。自分の力というものに恵まれた方でしたから、いわゆる信心を、ことさらに必要とされる方ではありませんでしたが、先代から受け継がれた、寺の檀家の役目はきちんと果されていました。
でも、人の心のうちというものは分かりませんから、人生の四季の秋から冬へと向かわれる年代で、他人にも、自分にさえも気づかないまま、心の諸課題を負っておられたのかも知れません。
「癌」を知られた時、自分が自分のありのままを受容するという最後の大仕事に立ち向かわれました。
それは「神が人の子らに与えて、ほねおらせられる仕事」(伝道の書 3:10)でした。
この苦しいわざの傍に、静かにはべって、夫の生涯における最も重い、そして大切な仕事のために、熱心に祈られたのはM夫人でした。
ご夫婦でありながら長い人生の心の歩みでは、お二人は対照的な道を通ってこられたように思えました。
8月の中頃だったでしょうか、Mさんからお電話をいただきました。
「私は、40日間、自分の孤独と罪ということに取り組んでほんとうに苦しみました。
しかし妻が祈ってくれたので、その助けによって、神の愛とゆるしに、すべてを委ねることができ、この度、病床洗礼を受けました。
すると、苦しみから解き放たれて、食欲も回復し、庭の盆栽の手入れなどもしてみればできる日々です。
聖書を真剣に読んでいます。
それから、一つ頼みがあるのだが、私がいなくなったあと、妻の相談相手になってやって下さい」。
細かいところで正確でないにしても、そんな趣旨でした。
続いてM夫人からは、確かな神の導きについてお聞きしたあと、主人に木の十字架を作って欲しい、との言葉を受けました。
休暇の2、3日を、私共は知人の信州の山荘で過ごさせて戴いたので、その間に、たまたま入手できた木曽産のくるみ材を使って作業をはじめました。
「ABIDE WITH ME(主よ共に宿りませ)」がテーマでした。
手にやさしい感触の十字架が彫り上がりました。
早速に「受洗記念」としてお送りすると、大変うれしい、朝な夕な、枕辺に置きつ、両手で囲みつつ祈っている、というお葉書がありました。
秋、病状が急変して、神のみ許に召された時は、それを抱きしめながら「平安、平安……」と 口ずさまれたと、承わりました。
その地方の「名士」だった氏の葬儀は大きな証しだったことなど、その教会の牧師からお聞きしました。
十字架のくしきひかり
閉ずる目にあおがしめ
みさかえにさむるまで
主よ、ともに宿りませ
(讃美歌39番5節)
この歌と共に、心に甦る大きな恵みの出来事です。
「くるみの木の十字架」は私にとって、忘れ難い恵みの表白であります。
坂道(1988 神戸教會々報 28)