神戸教會々報 No.115 所収、1987.6.21
(健作さん53歳、牧会30年目、神戸教会10年目、神戸教会創立113周年)
人はそれぞれ自分の生活を意識の中心に据えている。例えば、私は「幼稚園のある教会」だと思っているが、園児のある子は「ぼくの幼稚園には教会がある」という。私はそのことに大人の意識と子供の意識との違いを思った。
その幼稚園の園庭の固定遊具を動かす必要があって、ある日穴を掘った。創立以来33年間に赤土と石灰を何度も敷入れた園庭はさすがに固く、900人近い卒園児のつわものどもの夢の跡が幾層にもなっている。隣接地を購入して幼稚園を創設した教会創立80周年を担った人々の意図は、神の導きの許、美事に実っている確かさを覚える。しかし、同時に子供固有の生活や文化から、教会は何を聴き取ってきたか、との問が心をよぎった。
掘り上げた表土は赤土で、夕日のせいかその赤さが目に染みる。思いは飛んで、盛られた赤土は、沖縄で訪れた時のことを連想させる。緑の山肌が開発で削り取られて、エメラルド色の海に赤土が流れ出しているのが飛行機からよく見えた。長雨のあとだったと思う。沖縄タイムスはカラー写真で紙面を彩っているが、つい先日、宜野座村の水源かん養林の分水嶺を、米軍が抜き打ちにヘリパッド建設のために削り取り、赤土が赤々とむき出しになっている写真が載っていた。日米安保条約下、米軍の土地強制使用と自然破壊とが二重に住民を傷めている様子に、想像を絶する彼らの怒りを思った。
園庭の穴は瓦礫層に達してスコップがはね返される。神戸の足許の戦禍跡も身近であるが、沖縄の戦禍とはひどく異なった部分があるに違いないと思った。例えば、沖縄戦は日本の国体(天皇制)護持のための持久戦であったことなど。
沖縄ではその事をぬきにしては福音を聴き得ないのではないか、と思う時、異なる歴史や文化の中で聴く福音には、心して耳を傾けなければならないと思う。
このことと関連してローマ9章〜11章に心をとめたい。律法を絶対的基準として暮らしていたユダヤ民族にとっては、その生活意識で神を理解した。神の律法を行うことが彼らの義(神関係)であった。しかしその神理解は異民族を排除する思考の水準しか持ち得なかった。この限界を破る考え方は彼らの内側からは生み出されなかった。ところが「異邦人」と呼ばれた他の民族から、その水準を破るものが生まれた。「(律法の)義を追い求めなかった異邦人は、義、すなわち、信仰の義を得た」(ローマ 9:30)と言われている。そして、ユダヤ民族が異邦人の考え方から教えられていく経過を、「つまづきの石に……より頼む」(同33)とパウロは表現している。このことは意味深い。他を切り捨てていることにすら気づかない程に自己完結的になっている思考を破るものは、異なる民族や文化からの問のうちに含まれているからである。ユダヤ人は「異邦人」を媒介にして新しい神理解を与えられた。私たちも、救いの理解を個人の内面にのみ関わる自己完結性から脱することへと、産みの苦しみをたどっていくことを恐れてはならない。
「箴言」の味(1987 神戸教會々報25)