イエス見えずなり給う(1986 神戸教會々報 ㉔)

イエス見えずなり給う

神戸教會々報 No.112 所収、1986.3.30

(健作さん52歳)

彼らの目が開けて、それがイエスであることがわかった。すると、み姿が見えなくなった。 ルカ 24:31


「エマオのキリスト」と言えばレンブラントの画を想い起すが、堀辰雄のエッセイ「エマオの旅びと」も心にしみて美しい。

「『我々はエマオの旅びとたちのやうに我々の心を燃え上らせるクリストを求めずにはゐられないのであろう。』これは、芥川さんの絶筆『続西方の人』の最後の言葉である。『我らと共に留れ、時夕に及びて日も早く暮れんとす。』さうクリストとは知らずにクリストに呼びかけたエマオの旅びとたちの言葉はいまもなほ私たちの心をふしぎに動かす。私たちもいつか生涯の夕べに、自分の道づれの一人が自分の切に求めてゐたものとはつい知らずに過ごしてゐるようなことがあらう。彼が去ってから、はじめて気がつき、それまで何気なく聞いてゐた彼の一言一言が私たちの心を燃え上らせる。」(引用は原文のままのかなづかいによる)

 堀辰雄(小説家 1904-1953)は芥川龍之介を師と仰ぎ尊敬し思慕を抱いていた。芥川の死は彼に強いショックを与えた。芥川の死に際して記した一文には「彼は最初に、彼の死そのものをもって、僕の目を最もよく開けてくれたのでした」とある。師と仰ぐ人の死が人生を開眼させるとは感動的である。私たちの経験でも、親しい人の死に出会って、これは終焉ではなく新しいはじまりなのだとの感慨を新たにすることはしばしばある。彼(彼女)の死を起点として生きはじめなければならないと思う。堀辰雄の文章は、その意味で心にしみる。彼ほどに親しい者の死を通して目を開くことができるであろうか、とおそれをいだく。

 しかし、同時にこのエッセイについてのある批評家の言葉が心について離れない。「エマオの旅びと」は彼の芥川体験のリフレイン(くり返し)であって、同伴者芥川から自由であり得なかったことを示している。それ故に、「堀辰雄は、また芥川的聖書観・イエス観をも離れなかった」(武田友寿)。文芸批評としてこの言葉がどれほどの発言であるのかは私には分からない。けれどもイエスのよみがえりについて大きな暗示を与えられる。

 確かにエマオの旅びとたちは、テーブルでパンを裂くひとりの人に同伴者イエスを経験し心が燃えた。しかし福音書が「イエス姿見えずなり給う。」と語るところに深い意味を覚える。私たちは、それぞれに自分が映しとったイエス像を抱いて生きている。たとえ不充分でも、それを「信仰告白」として生きることが、信仰生活・教会生活の展開であることも知っている。人との死別はそのことを思い新たにせらるる時でもある。しかしそれでいて、体験は過去化され、定着化され、観念化され、静かにまた固まったものとなりやすい。それ故に、エマオのキリストはある一瞬の姿であり、姿がみえなくなった、というところには、観念化されたイエス観の改変を迫る促しがある。

 マルコ福音書は敬意と思慕をもって墓の中の師イエスに近づく婦人の弟子たちに、「もうここにはおられない……ガリラヤで……お会いできるであろう」(マルコ 16:6-8)と告げている。心燃ゆる思いすらも、それが過去に目を向わしめるものであるならば、それをもつきぬけて、人生を自からの責任と自由で生きよとのうながしを「よみがえりの出来事」は伝えている。見えかくれするイエスの姿を追って信仰生活に励みたい。

最初の礼拝(1986 神戸教會々報22)

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