玄米と大麦のパン(1985 神戸教會々報 ㉒)

玄米と大麦のパン

神戸教會々報 No.110 所収、1985.7.7

(健作さん51歳)

大麦のパン五つ……を持っている子供がいます。 ヨハネ 6:9


 わが家は今、玄米食である。相好を崩してその効用を説く金井愛明さんのすすめに心動かされてのことである。わが家といっても一人娘はこの春学窓を巣立ちそのまま東京で仕事についたので、エンプティー・ネスト・エイジにさしかかった妻と二人の食卓であるが、よく噛むほどにひなびた味わいがある。

 金井さんは関西労働者伝道の専従牧師から転身して釜ヶ崎での働きを始めて13年目に結核にかかった。その年は結核問題を扱う越冬委員会の責任者だった。釜ヶ崎の労働者の結核有病率は全国平均の40倍だという。彼の発病は象徴的であった。約2年間やむを得ない療養が続いたが、その時の心の転換を、彼は『神はわが病いを負い − 病める友へ』(共著、教団出版局 1983)に綴っている。病床を訪れた一人の見舞客が詩篇41篇を読み祈った時、詩篇の言葉にあついものを覚え、この病いが神の深い摂理であり、恵みと受け取ることが出来たという。再起。釜ヶ崎での活動が始まった。そしてしばらくして「金井さん脳出血で倒れる」の報が入った。幸い軽かった。救急処置のあと主治医となった八尾の甲田光雄医師の指導のおかげで再び働きの場にもどった。見舞った私に「玄米食をやってみないか」と言う。そして甲田医師の著作を示してくれた。それが玄米食のきっかけである。

 金井さんは西成教会牧師のかたわら「いこい食堂」を運営している。早朝仕事に出る前の労働者に安く栄養のある食事を供給し、かつ心のふれ合いを計るためである。そして月に何回か古着市を開いて衣類も安く供給する。そのいこい食堂でも玄米食を作り、客に好評だという。その「玄米食」は狭い意味では健康のためであろうが、広い意味では現代文明への鋭い批判を宿している。巨大な資本と管理の支配のどん底にある日傭労働者が、体だけが頼りである自分を大事にして、食生活に一つの自覚をもったとしたら、そこに潜む思想の根は深いものではないか。

 再三の病いから立ち上った金井さんが、往年の如く体力や活動力をもってではなく、玄米食での療養そのものを手立てとして釜ヶ崎での働きをすすめている姿に僕はうたれた。神戸に例のがたがたバンを自分で運転して支援物資を運びに来る金井さんにゆったりしたものを感じるのは、彼の齢がすすんだせいではあるまい。病める巨像の町をつつむ笑みがある。僕に出来ることは玄米をゆっくり噛んで彼との繋がりを温めること位である。それはまた異なった場にありつつ、人間をだめにする状況に対して、自立の思想を芽生えさせる根を共有する繫りでもある。


 聖書には玄米の話はない。しかし「大麦のパン五つとさかな二匹」をもって多くの人々が養われた物語りがある。福音書に伝えられるこの物語りのうち、ヨハネ福音書にある話だけが「大麦のパン」となっている。おいしい小麦を常食にすら出来なかった貧しい人々がこの伝承を担って語り継いだのでそうなったのであろうか、そんな想像をしてみる。この物語りは初代教会が、「生命のパン」であるキリストの、自からを十字架の死へと捧げることで多くの人々を活かす福音の驚くべき出来事(奇跡)を、象徴的に内包した聖餐式の意味を説く、説話である。しかし、それが美味の小麦のパンではなくわざわざ大麦のパンをもって語られているところに、釜ヶ崎における玄米食のもつ意味の如き現代性をもっていないだろうか。ふと、童心の笑みをもって現代の病める巨像の町にたたずむ金井さんと、大麦のパンを持つ聖書の中の子供の笑みとが重なり合って見える。

(サイト記)本文中の「金井愛明(あいめい)さん」は、健作さんの同志社時代の同級生、釜ヶ崎伝道所牧師、兼西成教会牧師、釜ヶ崎いこい食堂運営、炊き出し活動等(現在も多くのボランティアの活動の場)。神戸教会は中古衣料や食堂材料の寄贈依頼に応じて会報でも広く呼びかけ、集荷発送しています。2007年11月、76歳にて死去。

寒流に棹さして(1985 神戸教會々報20)

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