人のいのちは持ちものによらない(1985 石井幼稚園)

「石井幼稚園・石井伝道所だより」1985年4月号 所収

(神戸教会牧師・神戸教会いずみ幼稚園々長 51歳)

 少し昔の童話で『着物のなる木』(若松賤子、日本キリスト教児童文学全集〈第1巻〉所載、教文館 1983)というのを読みました。

 なつ子はお母さんの言いつけで前掛けを作っているのですが、「裁縫なんて、本当に嫌だこと!いっそ木になっていればよいのに」と言うと不思議な老人が現れて、着物のなる木のある国への行き方を教えてくれます。

 母の許諾を得ずに行ってみますと、あるわあるわ、前掛けの畑にはトウモロコシの収穫のように綺麗に巻いた前掛けが獲れます。ひまわりのような帽子の畑、帯の木の森、洋服やネクタイ、ハンカチ。なつ子は老人の用意してくれた車に、お土産にあれもこれもとどっさり積み込みます。畑から裏門を出ると指貫(ゆびぬき)や針箱のお墓があります。なつ子も自分の道具をここへ持ってきてしまえばと思いながら、では帰りましょうと礼を言うと、先の老人が君悪くにたりと笑って、ここは、お母さんに断りなくきた人は、家へ帰さねえというのが、この国の規則だと言われてしまいます。必死で工夫して教えられた呪文を逆に使いますと、気がついたら、自分の家の縁側にいて、もちろん着物のなる木の国からの土産はありませんでした、というお話です。

 私はこの話を読みながら、「人のいのちは持ちものによらないのである(ルカ 13:16)」という言葉が心にひらめきました。

 豊かで何でもある今の日本は、着物のなる木のようですが、どんなに物を所有したところで、母と子の心のかよいが失われるような所だったらそれは死の国です。

 いのちは持ち物(お金も、出世のための学歴や知識も地位も、一種の持ち物です)によらない、分かっているようで、もう一度このお話を通してハッとさせられました。

 持ち物を多く身に着けることを要求し期待するような親の浅ましさだけは持ちますまい。