1984年9月2日、聖霊降臨節第13主日、
説教要旨は翌週週報に掲載
(牧会26年、神戸教会牧師7年、健作さん51歳)
コリント人への第二の手紙 1:1-7、説教題「患難と慰め」岩井健作
この夏、同志社大学の土肥昭夫(歴史神学)教授が数年を費やしてまとめた『日本プロテスタント•キリスト教史』(新教出版社 1980年、全460頁)を通読しました。
明治以後、富国強兵・殖産興業を国策として、いわば強い者が中心となる価値観の中で、キリスト教がその価値観とどう関わり合ってきたのかが、批判的に捉えられている書物です。
例えば「三教会同」という項目があります。
日清・日露の戦争に勝利した日本政府が富国強兵を支える国民道徳の振興に宗教を動員するため、神道・仏教・キリスト教の三宗教を同席に集めた出来事です。
当時のキリスト教指導者の多くは、キリスト教が他宗教と同席し国家に認められたことを喜びました。
しかし、安中教会の牧師・柏木義円をはじめ少数の人はこのことを政府の宗教利用だと見抜いて批判の論陣を張ったことが述べられています。
土肥昭夫という歴史家の目によって、どちらが福音による生き方により深く立ったかが明らかにされています。
この世の力の強さに知らぬ間に引き寄せられ、まぶね(飼葉おけ)の幼な子イエス(十字架のイエス)の弱さに働いて示された福音を水増ししてしまっている歴史の中の教会の姿があります。
そういう意味では、この本『日本プロテスタント•キリスト教史』は私たちの現在も含めて、教会のレントゲン写真のような気がいたしました。
私たちは今年、教会で「パウロの手紙」を学んでいますが、佐竹明(広島大学)教授(1984年 神戸教会 夏期特別集会講師)によれば、パウロでこれだけは抑えておかねばならぬことの一つとして《強さを生きる宗教から弱さに生きる信仰への「価値の転換」を生きたことだ》と教えられました。
今日から「コリント人への第二の手紙」(講解説教)を学びたいと存じますが、この書簡の根底に流れているものは、その価値の転換を身をもって証しするパウロの真実の姿です。
神の前に自分の人間的強さが砕かれいく様、すなわち強さと弱さが神によって逆転していく様の激しさは、12章7〜10節(三度の祈り)では絶頂に達しています。
この価値の逆転の中心が示されているのが、イエスの十字架の出来事です。
コリント第二の手紙の最初の所に「ほむべきかな主イエス・キリストの父なる神」とありますが、ここでただ「神」とだけ言われていないことに注目させられます。
”わたしたちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。ほむべきかな、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神、あわれみ深き父、慰めに満ちたる神。”(コリント人への第二の手紙 1:2-3、口語訳)
「イエス・キリスト」を抜きにして、すなわち「強さから弱さ」への価値の翻(ひるがえ)りなしに神に出会うことはない。
しかし、「弱い」との思いの中にある者への、これほどの《慰め》もまたありません。
”神は、いかなる患難の中にいる時でもわたしたちを慰めて下さり、また、わたしたち自身も、神に慰めていただくその慰めをもって、あらゆる患難の中にある人々を慰めることができるようにして下さるのである。それは、キリストの苦難がわたしたちに満ちあふれているように、わたしたちの受ける慰めもまた、キリストによって満ちあふれているからである。わたしたちが患難に会うなら、それはあなたがたの慰めのためであって、その慰めは、わたしたちが受けているのと同じ苦難に耐えさせる力となるのである。”(コリント人への第二の手紙 1:4-6、口語訳)
JOCS(日本キリスト教海外医療協力会)のリーダーである伊藤邦幸医師は新しいワーカーに《何のために任地に行くか》について次のように言っています。究極的には「わたしたちの死ぬべき肉体にイエスの生命が現れるため」(Ⅱコリント 4:11)と。
”わたしたち生きている者は、イエスのために絶えず死に渡されているのである。それはイエスのいのちが、わたしたちの死ぬべき肉体に現れるためである。”(コリント人への第二の手紙 4:11、口語訳)
そんな生き方を許されたいと思います。
”だから、あなたがたに対していだいているわたしたちの望みは、動くことがない。あなたがたが、わたしたちと共に苦難にあずかっているように、慰めにも共にあずかっていることを知っているからである。”(コリント人への第二の手紙 1:7、口語訳)
(1984年9月2日 説教要旨 岩井健作)
1984年 説教・週報・等々
(神戸教会6〜7年目)
「コリント人への第二の手紙」講解説教
(1984-1985 全26回)