奉仕に加わる恵み《Ⅱコリント 8:1-9》(1982 週報・説教要旨・世界聖餐日)

1982年10月3日、聖霊降臨節第19主日、世界聖餐日
説教要旨は翌週の週報に掲載
柏木哲夫氏・野本真也氏 1982年 秋期伝道礼拝 案内
兵庫教区近況

(兵庫教区総会議長、神戸教会牧師5年目、健作さん49歳)

(サイト記)この日の週報には、隠退教師を支える運動・百円献金の案内、広島の原爆被爆者老人ホーム清鈴園支援、神戸教会 石井幼稚園園舎建築献金の案内が掲載されている。


申命記 26:1-11、Ⅱコリント 8:1-9、説教題「奉仕に加わる恵み」岩井健作
“マケドニヤの諸教会に与えられた神の恵みを……”(選句 コリント人への第二の手紙 8:1、口語訳)


 神戸の名爆「布引の滝」(神戸市中央区)を見ていると、落差のある岩肌に白い飛沫をあげて落ちる水の勢いに心を洗われる思いがする。

《サイト記》2枚の画像とも神戸「布引の滝」で、滝は全部で4本あるとのこと。

 今日の聖書日課、コリント第二の8章に出てくるマケドニアの諸教会の生き生きとした活動の様は、そんなイメージと重なって感動を呼び起こす。

 ローマの支配下で抑圧の中にあり、その中でも貧しい人たちで構成されていたこの地方の諸教会は、極度の貧しさにもかかわらず、パウロが熱心に推進したエルサレム教会への援助献金運動を頑張った。

 それは、単に貧しい者同志の同情を超えて、神の福音によって作り変えられた者としての満ち溢れる喜びの発露であったことが窺われる。

 献金は単に経済の問題ではなく、信仰による生き方の表明であった。

 何のいさおしもない者がただ神の恵みにより生かされたことへの感謝の応答であった。

 その応答の表し方の清純さが、マケドニアの諸教会にはあった。

 パウロはその模範をコリントの教会に示し訴える。

 今日でも、開拓途上の諸教会の会堂建築献金や乏しい財政の中からの外部献金に、それと同じ模範を示される思いがする。

 「マケドニア諸教会の模範」は私たちがこのテキストから学ぶ第一のことだと信じる。

 ”兄弟たちよ。わたしたちはここで、マケドニヤの諸教会に与えられた神の恵みを、あなたがたに知らせよう。すなわち、彼らは、患難のために激しい試練を受けたが、その満ちあふれる喜びは、極度の貧しさにもかかわらず、あふれ出て惜しみなく施す富となったのである。わたしはあかしするが、彼らは力に応じて、否、力以上に施しをした。すなわち、自ら進んで、聖徒たちへの奉仕に加わる恵みにあずかりたいと、わたしたちに熱心に願い出て、わたしたちの希望どおりにしたばかりか、自分自身をまず、神のみこころにしたがって、主にささげ、また、わたしたちにもささげたので在る。そこで、この募金をテトスがあなたがたの所で、すでに始めた以上、またそれを完成するようにと、わたしたちは彼に勧めたのである。さて、あなたがたがあらゆる事がらについて富んでいるように、すなわち、信仰にも言葉にも知識にも、あらゆる熱情にも、また、あなたがたに対するわたしたちの愛にも富んでいるように、この恵みのわざにも富んでほしい。こう言っても、わたしは命令するのではない。ただ、他の人たちの熱情によって、あなたがたの愛の純真さをためそうとするのである。あなたがたは、わたしたちの主イエス・キリストの恵みを知っている。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、あなたがたが、彼の貧しさによって富む者になるためである。”(コリント人への第二の手紙 8:1-9、口語訳)


 さて、貧しい中にも献げることができる「勢いのよい」恵みを第一の恵みとするなら、それは第二の恵みに繋がってこそ活かされるものだと思う。

 それは、8章4節の「聖徒たちの奉仕に加わる恵み」である。

 ここで「聖徒たち」とは、「エルサレム教会」のことを指す。

 エルサレム教会は川に譬えるなら、平野部を蛇行しつつ流れる、河口に近い川の如きものである。

 イスラエル民族の罪の歴史を負い、歴史の重みから自由でない教会である。

 そこがマケドニアやコリントの異邦人教会と異なる。濁った水をたたえている。

 パウロはエルサレム教会と異邦人教会の亀裂の間を生きた人である。

 そして彼の提唱するエルサレムへの献金運動は、エルサレムを助けると同時に、異邦人教会をエルサレム教会の負うどろどろとした歴史に繋げることであった。

 献金という奉仕への参加は、異邦人教会からエルサレムのユダヤ人教会へという一方的なものではなく、その奉仕を通して相手の持つ文化や歴史につながる恵みをもたらすことに目を注ぎたい。

 今日、教団は沖縄献金や在日大韓教会への献金に取り組もうとしている。

 そこには深い意味がある。

 私たちの日常の諸々の献金や援助、カンパの奉仕も一つ一つがそのような恵みのわざであることを覚えたい。

 

(1982年10月3日 説教要旨 岩井健作)


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