聖書にきく(4)(1980 保育)

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「キリスト教保育」(キリスト教保育連盟) 1980年7月 所収

(神戸教会牧師・神戸教会いずみ幼稚園園長 46歳)

はじめに神は天と地とを創造された。 創世記 1章1節

 J・D・デイヴィスの「新島襄の生涯」を読むと、新島が幕府の軍艦教授所で航海術を勉強し、将来国の役に立つことを目指して知識を求めていた頃、ある日、ふと友人の書斎で小さな聖書を見つけたことが記されています。

 時代は1853年、ペリー提督の率いる米国艦隊が江戸湾に来航し、さらに5年を経てアメリカの使節ハリスが来て、250年にわたる鎖国が揺さぶられ日本の近世史に大きな扉が開かれようとする頃です。

 軍事において遅れ劣る日本をなんとかしなければとの憂国の気持ちを強く持っていた新島に、この聖書はその後徐々にではありますが「国を思う」思い方に変化をもたらすことになります。彼は、もし聖書を読んでいることが知られると家族全員がはりつけにされる、という恐れを持ちながら夜の間に読むのですが、中国語で、しかも抄訳といったこの書物の冒頭で「はじめに神は天と地とを創造された」(創世記1:1)という言葉に出会います。新島はその時の衝撃を後に

「私は聖書を置いてあたりに目をやってみた。そしてこのように自問した。私を作ったのは誰か?私の両親か?そうではない、それは私の神だ」

 と書き記しています。その後、函館から国外に脱出、米国でハーディー夫妻の助けを得て勉強した新島が、軍事で国を興すのではなく、文化と教育をもって国を興すという志を抱いて京都に同志社大学を設立したことは世に知られるところであります。そして、憂国の動機が長い間かかって形を変えて活かされていったのは、長い密航の船旅という「広い世界」に出て行く波間の時間であり、見知らぬ世界での、人々との真実な出会いであったことも、衆知のことであります。

 ここでこの春入園したYくんのことを思い浮かべました。

 Yくんのお姉ちゃんは今度年長組です。遊び場の少ない都心で、保育が終わって先生たちが帰宅したり休みになると、牧師館の入り口の方からYくんとお姉ちゃんはそおっと園に忍び込んで遊びます。遊ばない約束にはなっているのですが、嬉々として遊ぶ姉弟を見ていると、しばらく遊ばせて頃を見計らって出て行かざるを得ないのが園長の心情ですが、Yくんの活発さは頼もしいかぎりでした。ところが、三歳児に入園したYくんの4月の様子は、まず最初は大泣きに泣いてお母さんから離すのがやっとの状態でした。遊びに来ていた幼稚園と、見知らぬ子たちと組み合わされて一緒に遊ぶ幼稚園との違いの中で、この子が経験しなければならない不安の大きさを見たわけですが、この不安を乗り越えてこそこの子の「広い世界」があるのだと思いました。そして、その不安を乗り越えさせるものは、お友だちと組み合わされて育つという「原初的要素」にあることも同時に感じました。それにしても、我が子を幼稚園に入れる親の考え方が、自己の価値観(知識をつけ能力を開発して社会のエリートになることによって幸福な人生を送る)の拡大増幅の線上にしかないことには、ほとほとウンザリさせられることがあります。しかし、そこにまた聖書の価値観に立つ保育からの挑戦もあるように思います。

「はじめに神は天と地とを創造された」という聖書の天地創造物語について「そんな神話的な話はこの科学の時代に理性を曲げてまで信じられない」と高校生の頃に友人と論じ合ったことを、聖書の第1ページを読みながら思い起こします。「キリスト教保育」誌を読む保育者の中にもきっとそう思っている人たちがあるかもしれません。また心ではそう思っていながら「この世界は神様が創られたものなのよ」と子どもたちに話してやれるほど二元的でも困るわけです。創造物語は聖書を書き残したヘブル民族が神話的説話を用いて民族の自己理解を示し、その信仰思想の表明をしていることは言うまでもありませんが、それを追体験し、そこから意味を汲み出すことは、私たち自身が自分の生き方において自分中心に固定化された価値観を打ち破る仕方において「広い世界」に踏み出していくことを抜きにしてはあり得ないと思うものであります。

 ボンヘッファーはこの創世記1章1節についての研究の中で、

「神はこの世界を越えて自由であるということと、神はそのことを我々に知らせてくださるということ、このことが哀れみであり、恩寵であり、赦しであり、慰めである」(『ボンヘッファー選集(第9)聖書研究、新教出版社 1965、p.21)と語っています。

 各人、このはじめの一句が載っている自分の聖書(新約だけのではない)は持っておられると思いますが、改めて第1ページを驚きをもって開きたいものです。

聖書にきく(5)

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