想起と待望の間《詩篇 42:1-11》(1980 礼拝説教要旨・週報)

1980.3.16、神戸教会、復活前第三主日
説教要旨は3月23日の週報に掲載

(牧会21年、神戸教会牧師2年目、健作さん46歳)

詩篇 42:1-11、説教題「想起と待望の間」

”わが魂よ、何ゆえうなだれるのか。何ゆえわたしのうちに思いみだれるのか。神を待ち望め。わたしはなおわが助け、わが神なる主をほめたたえるであろう。”(詩篇 42:5、42:11、口語訳)


”あゝわが霊魂(たましひ)よ なんぢ何ぞうなたるゝや なんぞわが衷(うち)におもひみだるゝや なんぢ神をまちのぞめ われに聖顔(みかほ)のたすけありて我なほわが神をほめたゝふべければなり”(詩篇 42:5、文語訳)

”あゝわがたましひよ 汝なんぞうなたるゝや 何ぞわがうちに思ひみだるゝや なんぢ神をまちのぞめ われ尚わがかほの助(たすけ)なるわが神をほめたゝふべければなり”(詩篇 42:11、文語訳)


1.この詩を読むと少年の日の田舎の教会(坂祝教会)の礼拝を思い出す。

 交読文で繰り返し読んだ一句一句が心に残っている。

 因習に包まれた農村に、太平洋戦争敗戦後の新時代への理想を掲げて誕生した教会は、早くも重工業中心の戦後復興の波のもと、好況と不況とを調節する労働力のプールと化して、専業農家が激減していく日本農村社会の余波を受けていた。

 異教社会の固さと、日の当たらぬ農村との二重の困難の中で、この詩(文語訳)を歌ったものだ。

”かれらが終日(ひねもす)われにむかひて なんぢの神はいづくにありやとのゝしる間はたゞわが涙のみ 晝夜(よるひる)そゝぎてわが 糧(かて)なりき.”(詩篇 42:3、文語訳)


2.この詩の文学類型は個人の嘆きの歌に巡礼の歌の要素が加わったものと言われる。

 42、43篇は一つの詩である。

 たぶん国から何かの理由で遠く離れ、捕囚か、または敵に囲まれた詩人の心境を歌ったものであろう。

 彼の魂はしばしばうなだれる。

 しかし、彼を貫いているものは、心の拡散ではなく、神を待ち望むという集中である。


3.「なんぢの神はいづくにありや」(詩篇 42:3、文語訳)という句から、共産主義政権下の東ドイツ福音主義教会連盟の立場を想った。

(『ただ証人としてー東ドイツ説教集』雨宮栄一訳、日本基督教団出版局 1979)
(『祈ることと生きることー社会主義社会におけるボンヘッファー 』A.シェーンヘル・鈴木正三共著、新教出版社 1979)

 彼らはイデオロギー的に教会を守ることではなくて、自分たちに向けられている宗教批判の真価までをも含めて、「神の現実」をとらえんとしている。

 そして、歴史の中に示されてきた福音の真実を想起しつつ、今の暗さに沈み切らずに、待望に生きている。


4.恵みの想起と待望の間の緊張を告げる詩だとすれば、A.カークパトリックが注解書で、この詩を心をうなだれる王ダビデの心境(サムエル記下 13ー19章)と重ね合わせていることも思い出される。


5.今日の問題は何か。

 最近、ある研究会で「キリスト教は天皇制の思想構造を撃てるのか」という問いを受けて、「なんぢの神はいづくにありや」の句を想った。

 十字架の死に行きつき、仕える人として生き切ることで「神」を啓示されたイエスを想起し、程遠い自分の姿から「神」を待ち望む、想起と待望の間に、信仰者の実存がありはしないか。

 想起と待望の間を生き続ける者であれ、との促しをこの詩は示してくれる。

(1980年3月16日 神戸教会礼拝説教要旨 岩井健作)


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