文責:信仰の回復と展望《ヨハネ第一4:7-21》(1979 説教要旨・週報)

1979.8.12、神戸教会、奥村竜三兄による説教
(健作さんはこの日、教会学校夏期キャンプで説教)
1979年8月19日の週報掲載
(週報掲載にあたり健作さん文責)

(牧会21年、神戸教会牧師2年目、健作さん46歳)

ヨハネ第一の手紙 4:7-21、説教題「信仰の回復と展望」奥村竜三兄

”愛する者たちよ。わたしたちは互に愛し合おうではないか。愛は、神から出たものなのである。すべて愛する者は、神から生まれた者であって、神を知っている。”(ヨハネの第一の手紙 4:7、口語訳 1955)


 私は洗礼を受けて72年になる。

 父は米屋だったが、明治20年代、キリスト教がいいと考え、松山高吉牧師より平安教会で洗礼を受けた。

 私は平安教会で信仰生活の前半と同志社時代を過ごし、残る35年間は神戸教会である。

 明治・大正・昭和のキリスト教を考え、明治初代のキリスト教徒が一番しっかりしていたように思う。

 父のことを考えても、安息日を厳守、日曜日には商売をしない、教会に行く、聖書を読む、そして家を開放し、同志社のミス・デントンにより日曜学校を行なっていた。

 私の兄が腸チフスで亡くなった時も、葬儀の後の挨拶で父は、永遠の命を信じ、亡き子は神の愛のうちに生きていると堂々と語り、人々を驚かせた。

 とにかく、明治のキリスト者の熱心さは見上げたものである。

 神戸教会も、キリスト教禁制の国へ伝道に派遣された26歳のD.C.グリーン宣教師によって始められ、その秘書役を勤めた市川栄之助は、そのために捕らえられ、京都で獄死した。

 初代キリスト者は人物揃いで、その伝記を読み、反省させられる。

 明治の文学者は北村透谷をはじめキリスト教の感化を受けたが、そこには明治20年代のキリスト教の破竹の勢いの様がうかがわれる。

 新島襄は、祖国を思い、全国を救うという視野に立ち、卒業生を各地に派遣した。

 その表れであろうか、神戸教会の海老名弾正牧師も突如、神の国を日本全体にと、東京伝道への使命で辞任をしたが、当時の役員・村松菊太郎、森田金蔵、沢才二郎兄は、1年間の棒給を約して送り出したという。

 この平信徒の熱心さが二世・三世へと伝わらなかったかと、自省するものである。


 さて、展望であるが、日本の教会は今、教勢不振である。

 その原因は、我々があまりに一切を牧師に任せすぎておることにある。

 日曜一時ほどで帰って行き、信仰のことを考えない現状が、今日の不振を招いている。

 これは世界的な問題でもある。

 世界教会協議会(WCC)の総幹事ヴィサ・トゥーフト氏は、来日した折、”Laity”即ち「信徒運動」の大切さを訴えた。

 彼の『教会の革新』(ヴィサ・トゥーフト、菅円吉訳、新教新書 1959)をぜひ一緒に学びたいと思う。

 教会は、愛の実践の運命共同体であるが、そのためには役員会がしっかりして、指導して欲しいことを希望してやまない。

 愛の共同体である教会を担っているお互いは、過去にまさる考えと熱心さでもって、神の道を拡げる責任を果たしたいと思う。

(1979年8月12日 奥村竜三兄説教、文責:岩井健作)

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