2025年9月28日発行「神戸教會々報 No.256」
夫岩井健作を偲んで 岩井溢子
私どもは今年、結婚して67年を迎えました。教会の牧師館で四六時中生活を共にしてまいりました。夫は去る3月17日から食べ物が通らなくなり点滴のみで過ごして2週間、31日に腎不全で91年と7ヶ月の生涯を閉じました。
夫は小学生時代を軍国主義教育の中で過ごし、親が敵国キリスト教の牧師だということで教師からの嫌がらせを受けたと聞きました。また戦時中の集団疎開では左耳の鼓膜を事故で破られ治療ができないまま不自由な生活を強いられてまいりました。戦争の悲惨さ、非人間性をいやというほど味わったと思います。戦後は親の農村開拓伝道に協力して青春時代を過ごし、山羊を飼い、ミツバチを飼って学費を自分でまかなったと折々に話していました。中学生の時に牧師になることを志し、牧師になってからは自分の体験を心に秘めつつ神と人に仕え、反骨精神を保ちながら豊かな人間関係を与えられて思い切り仕事が出来たと思います。今は天国で永遠の憩いを与えられていることと慰められています。6月28日の神戸教会主催の記念式をどんなに喜んでくれたことかと感謝と感動で胸が熱くなりました。
人生の最後を群馬県高崎市の老人ホーム「新生会」で穏やかに過ごし、秘かに自分のための葬儀式辞、自分史「教会の風景 その1、その2」を書き残していました。そして自分の特徴を「一筋」「気配り」「こまやか」と3つの言葉で表していたのを最近知りましたが、牧師「一筋」、残された者への「気配り」だったのかと思わされています。
「神のなさることはすべて時にかなって美しい」とのコヘレト3章のみ言葉を心に留めつつ、これから可能な限り、神戸教会の納骨堂に納めていらっしゃる懐かしい方々とまた現在の教会を担って下さっている教会員の皆様との再会を果たしたいと願っています。
【岩井溢子】



岩井健作牧師記念礼拝 2025年6月28日(土)神戸教会

