日本人の複合アイデンティティ(2013 沖縄・もとすす)

「求め、すすめる通信」第18号所収 
沖縄から米軍基地撤去を求め、教団『合同のとらえなおし』をすすめる連絡会 2013年12月


「ウチナンチューとヤマトンチュー」という言い方は本土側では言わない。この表現には沖縄と本土との関係史における沖縄側の問題提起と怒りが含意されている。

 薩摩支配、琉球処分、沖縄戦、米分離軍事支配、復帰後基地過重負担への悲しみと憤りを感じる。新崎盛輝氏はそれを構造的沖縄差別と捉えた。1995年少女暴行事件を契機にその怒りが爆発して以来「島ぐるみ闘争」となった。オスプレイ配備に対しては、オール沖縄的共同行動が展開され普天間基地のメーンゲートが市民の座り込みで封鎖された。2013年1月27日にはオスプレイ配備撤回東京行動の実行委員会は首相に「建白書」を手交し、沖縄38市長村長、41市町村議会議長、28与野党県議、他130名が沖縄から、また各地沖縄県人会、本土市民団体など4000人が日比谷野外音楽堂で抗議集会を行った。その後銀座をパレードした。沿道には「日ノ丸」や星条旗を掲げた一団が陣取っていて「売国奴」「日本から出て行け」の罵声を浴びせかけた。筆者もデモの隊列にいて、危機を感じた。「ヤマト」の恥部が首都のど真ん中を闊歩するさまに、沖縄と「ヤマト」の溝の深さを改めて思った。

 9月18日、沖縄では「しまくとぅば県民大会」が沖縄県の主催で行われている(しまくとぅば:島言葉)。琉球新報は、独自言語を守る営みを「しまくとぅばを失つては、沖縄への理不尽な押し付けにも抗えなくなるといった思いが、県民に強まっているのではないか」 (『琉球新報』 9月19日社説)と、沖縄の危機感の表れとして捉えている。佐藤優氏は「独自言語の回復は主権回復と不可分である」 としながら「これが直ちに沖縄の日本からの分離・独立に繋がるわけではない。なぜなら沖縄人の圧倒的大多数は同時に日本人としての複合アイデンティティを持っているからだ」 ( 『週刊金曜日』 2013年10月11日号)と述べている。佐藤氏の言う複合アイデンティティとは何であろうか。私は、それはヤマトを意識したウチナンチューの自覚だと思う。ヤマトを意識するとは、ヤマトへの批判的主体であり続けることであろう。それに応えるヤマトの複合アイデンティティとは何か。それは沖縄からの批判を「罪責」を含めて受け止め、同時にヤマトの恥部に向かつて批判的主体であり続けることである。銀座でのパレードで垣間見た、今も厳然と生き残る「天皇制絶対主義国家イデオロギー」への批判である。

 ヘイトスピーチに象徴される風潮は、裾野がある。立憲主義憲法(民衆が権力を縛る)の理念を真っ向から否定し、権力が天皇をかついで民衆を支配する「自民党憲法草案」なるものが今や政治日程に上る時代である。すでに国家秘密法などで外堀が埋められつつある。今、沖縄と連帯することは複合的である。高江の現場に象徴される沖縄の闘いに繋がる事と共にヤマトの右傾化に抗って生き、その闘いに繋がることでもあろう。

世話人代表:岩井健作(2013/10/25)

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