2009.4.26、明治学院教会(152)復活節 ③
(単立明治学院教会牧師 5年目、健作さん75歳)
コヘレト 9:13-18
1.「コヘレト」は召集するという言葉から来ている。「集会で語る者」の意味だとされる。
この書物は、一つのまとまった物語や思想体系や神学の知識を述べたものではない。日常生活の経験の中から出た、深い知恵を含んだ文章や格言が並べられている。
一例、阪神淡路大震災の時、知識は役に立たなかったが、知恵は役立った。
2.戦争の戦略理論を極め尽くした王が、町を攻めた時、その町の貧しい賢人が、ちょっとした機転やトリックの知恵で、その攻撃から町の人を救った。
しかし、この人は顧みられなかった、という今日のテキストから二つのことを考えてみる。
3-1.いつの時代にも確かに貧しい人はいる。何故なのか。社会的な搾取があるからではないか。紀元前2世紀後半のユダヤは、アレキサンドロス大王の支配が終わって、プトレマイオス王朝とセレウコス王朝の二つの勢力が争って、5回のシリア戦争(BC301-198)があった。
ユダヤは自治権があったものの、政治的には王朝に服従を迫られ、徴税制度の強化、大土地所有制や輸出商業権の独占形態により、民衆の苦痛は過酷で、奴隷への転落者が増加し、政治的支配と戦争の二重の苦しみが民衆にのしかかっていた。
3-2.祭司による神殿政治(公定宗教)は、「神は正しい人に報いる」(因果応報)との律法遵守を基本原理として、犠牲の祭儀ができない者を「神の罰を受けている者」として差別し、社会的搾取に加えて、宗教的差別が貧しくされた人々を苦しめた(神殿体制が政治的抑圧を補完)。
「貧しいこの人のことは誰の口にものぼらなかった」の意味は大きい。
”その町に一人の賢人がいて、知恵によって町を救った。しかし、貧しいこの人のことは、だれの口にものぼらなかった。”(コヘレトの言葉 9:15、新共同訳)
「この貧しい人の知恵は侮られ、その言葉は聞かれない」は差別の二重構造を示している。
”それで、わたしは言った。知恵は力にまさるというが、この貧しい人の知恵は侮られ、その言葉は聞かれない。”(コヘレトの言葉 9:16)
コヘレトは、因果応報の体系的思想に「否」を言い、賢者の格言的知恵を逆手にとって、絶望の淵にある民衆を励ました。
4.抑圧され、貧しくされた人たちに言い伝えてきた知恵は大事なのだ。
それは生き抜いていく力だ、神の働きはそのような格言に宿っているのだ、と言ったのが「コヘレト」である。
本当に大事なことは「賢者の静かな言葉が聞かれることなのだ」(17節)。
”賢者の静かに説く言葉が聞かれるものだ。”(コヘレト 9:17)
5.武器を持つ論理は、戦争をするための体系的論理だ。しかし、日常の知恵や格言というものは、それにまさって人を活かす。
”知恵は武器にまさる”(コヘレト 9:18)
欧州での三十年戦争の時(1618-1648)、アルザス地方の食料の欠乏を、貧しい生活者の知恵が救ったという話がある。「たんぽぽ」を食用にする知恵であったという。
6.「太陽の下に」(コヘレト 9:13)の表現は、コヘレトで合計29回用いられる。
生活の物理的空間と同時に、商業利益・軍事力優先の当時の王政をも示している。
しかし、そこを生き抜いてきた神が支える民衆の知恵が残されている。
苦しい時代を生き抜いてきた先人の知恵を再考したい。


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