慈しむ神の許で(2008 礼拝説教・収穫感謝日・ルツ)

2008.11.23、明治学院教会(133)降誕前 ⑤
収穫感謝日

(単立明治学院教会牧師 4年目、健作さん75歳)

ルツ 2:1-23(ボアズの畑で落穂を拾うルツの物語から)

1.高級住宅が建ち並ぶ都市生活には「秋祭り」の感覚がない。

 しかし、どの民族にも、秋には収穫を神に感謝するお祭りがある。アメリカで始まった「収穫感謝日」”サンクスギビング•デイ”は、11月第四日曜日に守られ、その習慣は日本のプロテスタント教会に伝わった。

 聖書の民族は、秋には「仮庵の祭り」、春には「刈り入れ祭り」を祝った。

2.フランスの画家・ジャン•フランソワ•ミレーは「落穂拾い」を描いた。

 旧約聖書の故事を意識していたに違いない。古代イスラエルの法律に従って、麦の刈り入れ時、畑の持ち主は落穂を拾い集めなかった。落穂は、寄留者・孤児・寡婦が拾う権利を認められていた(レビ記 19:9-10、申命記 24:19-22)。

3.「ルツ」はルツ記に出てくる女性の名前。異邦人で、寡婦であった。社会的には蔑まれ、貧しい立場の人であった。しかし、聖書はこの人の名を殊更に記憶している。新約聖書のマタイ福音書のイエス・キリストの系図に「ボアズはルツによってオベドをもうけ」と出てくる(マタイ 1:1-16)。

4.ルツ記の物語は4幕ものの劇を思わせる。

(1)第一幕。飢饉でユダヤのベツレヘム在住の男エリメレクがモアブに移り住んだ。彼も二人の息子もその地で死んだ。残った妻ナオミは息子たちの異邦人の妻たちに「自分たちの里」に帰り、再婚を促す。しかし、嫁の一人ルツは自分の将来の可能性よりも悲惨な寡婦となった義母と運命を共にする決意を固くし、姑の苦難に同伴する。

(2)第二幕。ベツレヘムにはナオミの亡き夫の有力な親戚ボアズがいて「ゴーエール」(家を絶やさないように責任を果たす親族の意:レビ記 25:23)の責任から、この寡婦とその嫁の「落穂拾い」を手厚く守る。

(3)第三幕。ナオミはボアズへの接近を試み、ルツは大胆に求婚する。

(4)第四幕。思慮深いボアズは「町の門(公の証人)」の法的な手続きを経て、レヴィラート婚(創世記38章、申命記25:5-10)の精神を生かし、ルツと結婚するという物語である。

 洋画家・小磯良平は聖書の挿絵に、落穂拾いのルツと地主ボアズの出会いを描いた。美しい絵である。


5.「落穂拾い」にはいつくか現代的テーマが含まれている。

 寡婦の社会的地位とそれを支える社会法というテーマ。現代はそのような社会的連帯の法体系が崩れつつある。弱者が「競争原理の新自由主義」に丸投げされている。異邦人の疎外はいかに克服されるべきか。多民族共生の課題である。古代も現代も厳しい。だが、この書物には通奏低音のように「主の慈しみ」(ヘブライ語「ヘセッド」《愛、慈しみ、真実、純情、憐れみ、恵み、などと訳されている旧約聖書の基礎語句》)が語られる。

”あなた達は死んだ息子にも私にもよく尽くしてくれた。主がそれに報い、あなた方に慈しみを垂れてくださいますように”(ルツ記 1:8)

“生きている人にも死んだ人にも慈しみを惜しまれない主が、その人(ボアズ)を祝福してくださるように”(ルツ記 2:20)

 というナオミの祈りが現実の暗さと厳しさを包んでいる。

 歴史をそのドン底で、慈しみで支える神への信頼が悲嘆の女性の歩みを確かなものとした。

 主の「慈しみ」を生きることが、歴史を生きることであるのだ。

 悲しい出来事はたくさんある。しかし、主の慈しみを信じて、聖書の人々の後に続きたい。

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