2008.8.10、明治学院教会(124)聖霊降臨節 ⑭
(単立明治学院教会牧師 4年目、健作さん75歳)
詩編 84:1-13
”万軍の主よ、あなたのいますところは、どれほど愛されていることでしょう。主の庭を慕って、わたしの魂は絶え入りそうです。命の神に向かって、わたしの身も心も叫びます。あなたの祭壇に、鳥は住みかを作り、つばめは巣をかけて、雛を置いています。万軍の主、わたしの王、わたしの神よ。いかに幸いなことでしょう。あなたの家に住むことができるなら、まして、あなたを賛美することができるなら”(詩編84:2-5、新共同訳)
1.詩編84編は「万軍の主(神)」と同時に「神の宮」を讃える巡礼者の歌。
秋の収穫の後、雨も終わり、巡礼の季節の到来。
「嘆きの谷」「涙の谷」(直訳「バーカーの谷」)はエルサレムへの行程の荒れた谷。比喩的には、人生航路における信仰者の苦しい経験を暗示。しかし、帰る場があると。
2.詩人は「盾とする人」「王」のために祈る(9節・10節)。
「王」に、神が生きて働くとは、旧約の人々の信仰の理想(現実には、王は民の上に君臨し支配し搾取する者が多かった)。
それがなお「油注がれた人」「メシア」「救い主」の思想に通じ、「待望」として旧約時代の人々を支えた。
3.「あなたの庭で過ごす一日は千日にまさる恵みです」(11節)。
神殿への回帰、祭りと労働、解放と束縛、というリズムの大切さが歌われている。
4.「あなたの祭壇に、鳥は住みかを作り、つばめは巣をかけて、雛を置いています。万軍の主、わたしの王、わたしの神よ。」(4節)
神殿の荒廃すと解釈する学者があるが、無理。ここは、象徴・比喩。
神殿にツバメが巣をかけ、雛を育むことが、自分たちの人生にとっての深い象徴。
5.ツバメの不思議な回帰本能が比喩となって、巡礼者の世俗の日常にありながら、なお神の宮での祈りへと回帰するリズムが与えられていることをツバメに託している。
さらに「つばめは巣をかけて、雛を置いています」というところは「育み」の営み全体が持っている命の姿の象徴的意味が深く覚えられる。
おそらく巡礼は子供も連れての旅であった。「雛を置いている」という言葉に、自分が子供を育てるということに働いている恵みを、また、自分が「神に」育てられている、という信仰を顧みている。
6.「育てる」という苦労、「育てられている」という感謝の同時性が比喩になっている。
「育む」と「育まれる」は、関係概念である。
「親の恩、子知らず」は、同時に「子を持って知る、親の恩」に通じる。
「あなたによって勇気を出し、心に広い道を見ている人は」(6節)。勇気を出さなければ超えられない道がある。
「主よ、わたしの祈りを聞いてください」(9節)という苦難の叫びはある。しかし、詩全体は、それを突き破って進んでいく、希望や喜びに満ちている。
「いかに幸いなことでしょう。」が3回繰り返される。
5節:神殿の奉仕者(祭司や聖歌隊への祝福)。
6節:勇気を出すこと。
13節:主により頼む人。
7.鶴見俊輔氏が「親教育」という、なだいなだ氏の言葉に感心していた。
子の存在が親を育てるという関係だ。ツバメも子に育まれる面もある。
124_20080817◀️ 2008年 礼拝説教