2008.8.3、明治学院教会(123)聖霊降臨節 ⑬
(単立明治学院教会牧師 4年目、健作さん75歳)
Ⅰヨハネ 3:1-12
1.かつてK教会の祈祷会で、あるご年配の婦人が娘さんのことを証しで語られました。
娘さんは37歳で、専門職の仕事もこなし、二人の子どもをしっかりと育て、理知的で、意志的な生き方をされていて、宗教とは無縁の生活でしたが、乳癌の手術・再発・危機の中で、近くの教会で洗礼を受けました。
その時のテープを聴かせて下さったのですが、自分の存在を、改めて「神との関係存在」として捉え、「神の愛」との関わりを表明されたものでした。
心に残ったのは、その関わりが、残された時の中で「だんだんと」深まってゆくであろうと感じている、という部分でした。
2.そのような信仰の生き方を、ヨハネ第一の手紙 3章2節は表現しています。
”愛する者たち、わたしたちは、今既に神の子ですが、自分がどのようになるかは、まだ示されていません。しかし、御子が現れるとき、御子に似た者となるということを知っています”(Ⅰヨハネの手紙 3:2、新共同訳)
「既に神の子」というのは聖書の基本的告知(福音)であり、それへの応答が信仰告白です。
パウロは「神の義・信・恵み」と、ヨハネは「神の愛」と表現しました。
問題は、「自分がどのようになるかは、まだ示されていない」と「時間経過の中での生」をしっかりと見据えて、やがて「御子に似た者となる」という希望を持って生きているという部分です。
希望は不条理な歴史を歩む支えです。
「救い」を知識として悟ることは、どうしても受け身の生き方になります。ヨハネの論争相手とヨハネの違いは、歴史(不条理)に関わる積極性の違いでした。
3.ヨハネ書簡は当時のグノーシス派の信仰理解に反駁した書物です。
グノーシス(知識)派は、「救い」を「知識・悟り」として捉えました。
時間経過の中で熟成してゆくものとは捉えませんでした。
だから覚知が大事だったのです。
ヨハネにとって、「救い」とはイエスの戒めを守って、歴史の中を生きること、互いに愛し合うことの中で、”御子をありのままに見る”時に向かって生きるという「希望」でした。
「時に向かう」とは終末論的に生きるということです。
4.「神の愛」という大きな出来事について、3章1節は「考えなさい」と言っています。
「考える」という営みは時間の流れを生きることです。
その経過の中で、最後には本当の姿がわかる、これはヨハネ書簡の特徴です。
親の葬儀や記念会の時に、しみじみと親の姿が見えてくることがあります。
いわば、終わりから見えてくる、終末論的存在とでもいうのでしょうか。
世界・社会・人生には、不条理なことがいっぱいあります。
しかし、その不条理を生きることの中に、イエスに示されて神がおられます。


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