2007.1.21、明治学院教会(60)
(阪神淡路大震災から12年、牧会49年、
単立明治学院教会牧師 2年目、健作さん73歳)
フィリピ 4:8-9
”終わりに、兄弟たち、すべて真実なこと、すべて気高いこと、すべて正しいこと、すべて清いこと、すべて愛すべきこと、すべて名誉なことを、また、徳や賞賛に値することがあれば、それを心に留めなさい。わたしから学んだこと、受けたこと、わたしについて聞いたこと、見たことを実行しなさい。そうすれば、平和の神はあなたがたと共におられます。”(フィリピの信徒への手紙 4:8-9、新共同訳)
1.この手紙の特徴は、著者パウロとフィリピの信徒との、美しい交わり、信仰の道筋が丁寧に説かれていること。
著者パウロは「希望」について終末論的信仰を次のように説いている。
”あなたがたの中で善い業を始められた方が、キリスト・イエスの日までに、その業を成し遂げてくださると、わたしは確信しています。”(フィリピ 1:6、新共同訳)
1章26節では「キリストのために苦しむ恵み」と、苦しむことの積極的な意味を知ること(贖罪論的信仰)を表現している。
2章6−8節では「十字架の死に至るキリスト」と、その死が”いのち”を表しているというキリスト論的信仰を説く。
3章9節では「わたしには、律法から生じる自分の義ではなく、キリストへの信仰による義、信仰に基づいて神から与えられる義があります」と信仰義認論をとく。
2.信仰の筋道は、建築で言えば、設計図・基礎図・構造図のようなもの。
山登りで言えば地図。
その養いには、教理問答・公教要理・信仰問答・信条・信仰告白文などが使われる。私はかつて、西中国教区で、教区宣教研究会編『洗礼を受けるまで』(教団出版部 1988)の作成に参加した。筋道は一つの手がかり。
しかし、一番いいのは誰かについて登ること。また一人だって良い。
山(真理、イエス)に出会えば良い。
3.今日の箇所、フィリピ 4章8-9節では、パウロは今までの信仰の理解を一度離れて語る。
これは一般社会で人々によって担われているストアの民間哲学の徳目。
”すべて真実なこと、すべて気高いこと、すべて正しいこと、すべて清いこと、すべて愛すべきこと、すべて名誉なことを、また、徳や賞賛に値することがあれば、それを心に留めなさい。”
これは、経験の中に、福音を再発見することの勧め。
8つの徳目は、新約聖書の他にも出てくる。フィリピの教会は、ヘレニズム文化の人々により構成されていた。小さい時から、身についていた徳目の中に福音を発見することが大事。
研究者が注意を払うべき点について「平和の神が共にいます」の句を指摘する。
民間哲学では、個々人の人格、品性の立派さが中心。パウロでは、個々人の人間的完成ではなくて、神が共にいますこと。
平和の神が共にいる共同体の形成を目標とする。
4.「世の真実」ということについて、三軒茶屋でパレスチナの劇団アルカサバ・シアターの演劇舞台を観たことが印象に残っている。
劇の題名は『アライブ•フロム•パレスチナ − 占領下の物語』(”パレスチナは生きている”)。
舞台にはアラビア語の古新聞の山が三つあるだけ。6人の裸足の俳優は、我々がいつも聞いているパレスチナのメディア情報や政治イデオロギーの現実を破って、極限状況の生活をユーモアやアイロニーに転換する、人間の力と真実と笑いを伝えてくれた。
「あの地域から」との思いを強く抱き、感動で涙した。
力とか武力が覆っていて、先行きが暗い時、人の心と心とを繋げる、こんな真実が今世界にあるのか、ということに痛く感動しました。


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