「求め、すすめる連絡会」とは(2005 沖縄・もとすす)

2005.10.14 執筆、発表誌不明

(単立明治学院教会 牧師、健作さん72歳)

 まず、貴重な誌面を「求め、すすめる連絡会」のために提供してくださった本誌編集者に厚く感謝いたします。何をする「会」か。私なりに一言で言えば、「日本人」として「沖縄」への罪責(謝罪と行動を含め)を担い続けようとする運動の一環です。「求め、すすめる連絡会」は略称です。正式の名は

「沖縄から米軍基地撤去を求め、教団『合同とらえなおし』をすすめる連絡会」

 です。だから一方で『日本基督教団』の教会の在り方を自らを含めて問う運動であります。他方の「米軍基地撤去」については、世界の秩序を軍事力で維持する 「日米両権力」に対峙するあらゆる人々と連帯をする開かれた運動です。

 2004年10月27日夜、日本基督教団第34回(合同後19回)教団総会会期中、議員・傍聴者の有志90数名が集まって立ち上げました。「第34回総会に『問題あり』」との意思表示を呼び掛けた「10教区」12人が準備しました。初めは「沖縄からの基地撤去」を主眼とし、世話人代表に岩井健作(当日欠席)を、事務局長に府上征三を決めました。

 さて、少し筋道を追って経過をたどります。日本基督教団は1967年「第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白」(以下「戦責告白」)を鈴木正久議長名で発表いたしました。そのきっかけはその年の第17回夏期教師講習会でした。発議には私も関与した一人ですが、「戦責告白」は「世界、特にアジアの諸国……またわが国の同胞に心からのゆるしを請う」という発想でした。その時「沖縄キリスト教団」から参加した山里勝一氏は「沖縄のことはどうなるのか」という発言をしました。鈴木議長により事柄は「日本基督教団と沖縄キリスト教団との合同」に発展しました(1969年)。この「合同」は本土の教会が、「戦責告白」を深化させ、琉球処分、沖縄差別、沖縄戦、米軍施政権による統治、基地の人権被害および戦争への加害者性など、沖縄の人々とその地の教会の苦難へと思いを馳せ、「『沖縄』にゆるしを請う」謝罪まで徹底させるべきであったのです。

 今から思えば、当時の私たち「教団」の歴史認識や罪責観はそれとは程遠いものでした。しかし、「沖縄」からは問い掛けが起きました。「教団」では欠落に気付いたものが発議して、1978年以来、総会決議をもってその合同の「とらえなおし」の作業を始めました。が遅々としてすすみませんでした。その経過は省略します。「合同」の名のもとに教団に包摂された「旧沖縄キリスト教団」の主体を継承する「沖縄教区」は「合同」を実りあらしめるため、「教団名称変更」(「日本合同キリスト教会」に。)を長い間提案してきました。ところが第33回(合同後18回)総会は、この提案を審議未了廃案という扱いにしてしまいました。このことをきっかけにして、沖縄教区は、第34回(19回)教団総会に教区総会の意志として教団総会議員を送りませんでした。これが現在も続く「当分教団とは距離をおく」という事なのです。

 制度的教団とは別に、このことを憂える教団の信徒・牧師有志が沖縄との関係をもう一度大事にしようということで、多少時間が掛かりましたが、討論の末、「教団・合同とらえなおし」をも課題として、「求め、すすめる連絡会」を発足させました。6月に全国協議会をもち、規約を承認し、それに従い改めて運営世話人会を選び緩やかな組織化をいたしました。運動は、各地に活動の主体となる「連絡会」を立ち上げていくことですすめられ始めています。「関東・求め、すすめる連絡会」(代表北村慈郎)は活発な活動を始めています。

 この運動は「個人」を構成の単位としています。(年会費2,000円。2005年9月現在170名)。けれども、「合同とらえなおし」はもともと「教団」が取り組んできた、また取り組むべき教会的・宣教的課題です。今も諸決議は活きていますし、懸案のことです。そこでこの「連絡会」は、各個の教会・教団内団体にも賛同の支援(年間1口4000円)をお願いしようということになりました。「改めて沖縄にこだわり続けませんか。“距離をおいた教会”と私たち『本土』の教会とをつなぐために」と呼び掛けます。

 今、私は目取間(めどるま)俊氏の『沖縄「戦後」ゼロ年』を読んでいます。沖縄は今も「戦争」の渦中です。著者は本土の人間の「戦後60年」という無責任な欺瞞に満ちた歴史意識を厳しく批判し、同時に沖縄人の責任を追及します。この本の知念ウシさんの読後感を載せた『琉球新報』(2005.10.3-4)が山里勝一さんから私に送られてきました。まさに山里氏が教区議長として「距離を置く」と表現したことが、目取間氏、知念さんの主張の内容でした。書簡では

「何とか教団と問題を共有し、充分話し合える場の設定をのぞんでいます」

 と願望が語られ、著作への私の意見を求められています。知念さんは

「目取真が自己、沖縄人の責任を追及しているのだから、日本人もそれ以上に自己を、日本人としての責任、主体性を追及すべきである」

 と語ります。この運動の主体を作り出すには、自己の内に知らないうちに宿る沖縄への差別性、天皇制容認の体質、戦争の暴力性への諦観、などと戦い、同時に「権力」の非人間性を見極めねばならないと思っています。現「教団体制」とは別の、しかし連帯できる「教区機関」とはつながりつつ、信徒・牧師の「NGO」的働きである「求め、すすめる連絡会」が広がってゆくことを切に願い、祈るものであります。

(サイト記)「求め、すすめる連絡会」について現在ネット上のリンク先が見つかりませんが、適切なサイトがあれば、適宜対応します。

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