ぶどうの枝を想う – 小林幸治・綾夫妻を記念して -(2004 記念礼拝・記念会)

2004年9月25日、竜丘基督伝道館•長野県飯田
「小林幸治20年•小林綾5年 記念礼拝•記念会」
司式者:岩井健作(義両親の記念礼拝)

(日本基督教団教師、健作さん71歳)

「小林幸治・綾 記念式の祈り」

 時と永遠をつかさどられる神よ

 今日は、小林幸治さん・綾さんご夫妻の天上に召されてからの20年・5年を記念して礼拝を捧げるために、ご生前 身近に過ごしたもの、また関係の深いもの達がこの会堂に集まりました。この礼拝を終わりまで祝福して下さい。

 ここは、ご夫妻がそれぞれに信仰を養われ、またお互いを伴侶とする旅路のはじめを与えられた故郷です。

 ご夫妻は、激動の20世紀という時代に、あなたから与えられたそれぞれの使命を全うし、地上の生活を終わり、聖書にあるように「忠実な、良い僕(しもべ)よ」(マタイ 25:21)とあなたのみ許にと帰られました。

 あなたがご夫妻の生涯を導かれ、祝福されたこと、その歩みの一つひとつを主の証しとされた事を覚え、主のみ名を讃える事を得させて下さい。

 お二人のご生涯は、年月を経ることで、歴史の過去になるのではなく、年毎に新しく語りかけるメッセージを持っていることを感じます。

 ここに集う者たちが、それぞれの人生の齢を重ねるにつれて、意味深くそのことを覚えます。

 私たちもやがて、それぞれの地上の人生の終わりを迎えます。

「再び相まみえる」という信仰と共に、自らのすべてをあなたにゆだねる信仰を得させて下さい。

 一人ひとりの心のうちなる祈りに合わせて、この祈りを主イエスの御名によって祈ります。

アーメン


ヨハネ福音書 15:1-5

記念式礼拝説教ぶどうの枝を想う

「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である」(ヨハネ 15:5)と、ここではことさらに「ヨハネの読者」が枝であることが強調されています。

 当時の読者すなわちヨハネのキリスト教会は、ユダヤ教徒からの激しい迫害にさらされていました。それに耐える力を著者は「つながる(メノー)」ことだと表現します。

 これは「とどまる、待つ、残る、住む、続ける、生き長らえる、生き残る、宿る、泊まる」と訳される内容を持った、生活用語です。

 新約聖書中118回うちヨハネ文書には67回(ヨハネ福音書に40回)、ヨハネ福音書15章1〜5節の中に7回出てきます。

「どこ」につながるかというより、つながり続けるという、時間概念の意味が強い言葉です。

 もちろん神(イエス)と人とのつながりを意味します。

 雑踏で母が子どもに「お母ちゃんの手をしっかり握っときや」といっているのと同じで、母と子がそうであるように相互関係を言っています。

 ヨハネはそれを表現するのに「ぶどうの幹と枝そして実」という豊かなイメージを用いました。イメージは伝達の豊かな、具体的手段です。

 小林夫妻の御生涯を表すのに「ぶどうの枝」のイメージは、豊かなものをもたらします。

 小林夫妻の歩みを三つの四字熟語で考えてみました。

 1.刻苦勉励。 2.聖書信仰。 3.笑顔交流。

 それぞれが想像を膨らませてください。

 どれもがイエスにつながり、また神がつながっていて下さる確さを表してはいないでしょうか。

(岩井健作)


 小林綾さんの略歴の最後には綾さんの歌二首(1973年作)が掲載されている。

 誇るべき何もなけれど七人の子をわが冠の珠ぞと思う

 信濃なる天竜峡に程近き竜丘村はわれの故里


小林幸治・綾 記念式式次第(2004年9月25日、竜丘基督伝道館)
 
 司式:牧師 岩井健作
 奏楽:小林典子

 前奏
 讃美歌 488(はるかにあおぎみる)一同
 聖書  ヨハネによる福音書15章1〜5節 司式者
 祈祷  司式者
 讃美歌 271(いさおなきわれを・幸治愛唱)一同
 説教「ぶどうの枝を想う」岩井健作
 讃美歌 495(イエスよこの身を・綾愛唱)一同
 主の祈り 一同
 讃美歌 544(あまつみたみも)一同
 頌栄 一同
 祝祷 司式者


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