2004.6.13 於関西神学塾、
(川和教会代務牧師退任から3ヶ月、健作さん70歳)
1、負いきれない日常
近況報告から。5月18日以降の二三の経験を記す事から始めたい。
1−1、「5.29鎌倉調査パトロール」に参加
[主催]野宿者(本郷台・大船・鎌倉・鵠沼・辻堂)訪問「もろもろの会(代表・石川)」
[日時]5月29日(土)午後一時鎌倉駅集合、(晴れ、南風強く、蒸し暑し)
[訪問地]鎌倉駅前、腰越、七里ヶ浜、稲村が崎、坂の下(全行程7キロ、徒歩)
[参加者]4名
[訪問数と聞き取り]
・生涯学習センタ−(二人、男性・市内を転々、親の家あるも帰れず。山下公園にいた、今はカトリック教会のひさしで夜を過ごす)
・鎌倉高校前海岸(一人、男性63歳、腰越で、しらす、かます、などの仕事で現金収入あり)
・七里ヶ浜(一人、訪問時テントの中で死亡を発見、死後かなりの日数を経ていた。救急通報)
・稲村が崎(テント見当たらず)
・坂の下(二人、国有地にテント、52歳、毎朝七里ヶ浜漁港の船で漁にでる。同居者60歳代男性、訪問をこよなく喜び、笑顔での会話が弾む)
なお、神奈川県には、「夜回り・パトロール交流会(高沢幸男)」(10都市13団体)がある。行政側は目下国の「ホームレスの自立の支援等の関する特別措置法(平成15年8月施行)」に基づき「神奈川県ホームレスの自立の支援等に関する実施計画(仮称)の骨子案」を作成中。
各地のパトロールはそれぞれの市役所などに具体的に働きかけている。鎌倉も目下第2回を準備中。鎌倉は比較的生活水準が高く、生活保護などの福祉行政は意欲的とはいえない。野宿者の視点から、要求を出す事が福祉行政全般への改善の視点をもたらすことを、住民運動も目指している。観光地の浜辺で餓死・孤独死があるという社会の現実。
1−2、「百万人署名運動」等への参加
・「5.21東京・明治公園(陸・海・空・港湾20労組等の呼び掛け)イラク派兵NO,STOP有事法制」は約1万人が夜、四ッ谷、新宿をデモ。
・「6.4日比谷野外音楽堂、有事7法案成立阻止・イラク撤兵緊急大集会(岩井、呼び掛け人の一人に)」1600人、日比谷−数寄屋橋をデモ。緊急署名を個人で130筆集めた。
自衛隊のイラク派兵という既成事実(日米安保協力を基盤にした、アメリカの中東支配の軍事・経済戦略への協力支援、国内は憲法改悪路線)に、民衆(ピープル)の力をどのように結集できるか。年金法等「国民」の生活からの収奪の道堅めを背景に、経済格差が国内でもひどい状況(このことは、鎌倉在住の内橋克人氏の評論『<節度の経済学>の時代』朝日新聞社 2003.12、『もうひとつの日本は可能だ』光文社 2003.5)。
ホ−ムレスはその現象面。民衆の運動は伸び悩む。
だが、運動の一方の極は、戦争による大量死につながっている。
1−3、教会関係(1)
・「沖縄・辺野古ボーリング阻止支援『緊急集会』」5月4日神奈川(うねりの会)より4名現地の行動に参加報告集会。
・「かながわ・明日の教団を考える会」5月25日。神奈川教区総会(6月19日)に提出予定の教団34回総会の議案とする教区議案『合同のとらえなおしを引き続き教団の課題とする件』の検討。なぜ沖縄なのか。世界の戦争体制(被害・加害を含め)に対する極致の抵抗(支援)。
・「横浜地区教会婦人会講演会」5月25日。岩井が『地震と子どもの死と教会』と題して講演、資料に、514名の亡くなった子どもたちの名前、および全8回の挨拶文[岩井文]を配付(作成:菅澤・岡)」。不条理の死を忘れないための営み。
1−4、教会関係(2)
・「第9回部落解放全国会議」(主催・教団解放センタ−運営委員会、協力神奈川教区)6月3日−5日「私にもできる部落解放運動 −『特別措置法』終結の中で」於・湘南国際村センター、135名参加。
開会説教(東岡三治委員長)。たった一人で始めた教会での解放運動は今や大きな流れになった。しかし、運動の原点は「一人で始める」事であろう。「私にもできる」をしっかり受け止めて、励まし合っていきたい。
<基調提案>
谷本一広運営委員。解放センタ−設立23年
① 狭山差別裁判と取り組む。
② 特別措置法終結で「部落」が人権一般に解消されている。
③ 教団は組織的に取り組もう。
④ イラク反戦、反天皇制、憲法・教育基本法改悪等さまざまな運動との連帯.。
⑤ 差別に妥協しない、現場からの取り組みを。
<記念講演>
茂木昇・部落解放同盟神奈川県連事務局長。30数年の解放運動の経験から、生まれの小田原市北川地区の劣悪な住宅環境の実態。融和政策・運動、「寝た子を起こすな」の考えが、どんなに解放を阻害してきたか。今でもそうだ。道を切り開いた先輩、村井忠次郎。自分が受けた障害者差別(9歳で事故による両足切断)の克服。それにも増して部落出身による結婚差別(娘を許さない妻の親)の深さ。マイナスをプラスに変える気力。人間が人間として尊敬し合っていくために、聖書を読む。
渡辺英俊・なか伝道所牧師。
「パウロは差別にどのように取り組んだか」
*2日目午後は、各現場研修、被差別部落(2か所)、在日(戸手)、基地(横須賀)、日雇い(寿)。
全体協議、発題者・池上信也氏。四国教区は、教区が実質的取り組みをしないために担当者は困難を極める、がその克服が当面の「わたしにも」の事柄。差別撤廃は個別性から普遍性(連帯性)への方向をもつ。その逆ではない。
2、渡辺英俊氏の「聖書の読み」を巡っての感想
「パウロにおける義認論の射程 −「教理」は「運動」であった」
(『旅人の時代に向かって − 21世紀の宣教の神学』、渡辺英俊、新教出版社 2001.1。初出「福音と世界」新教出版社 1995.10)
2−1、パウロ運動の「《場》トポス」(コリ1 1:26-31)
信仰義認論の射程は[教理]ではなく[運動]
− 社会/文化的意義に於いては排除ではなく共同体結合の論理。
『ミ−クス(W.A.ミ−クス、加山久夫他訳『古代都市のキリスト教』1989 ヨルダン社)を参考にし、…低賃金労働者…流動貧困層が…都市社会の下層部分を形成していたと考えられる。…パウロの「福音」運動の社会層への三つの手掛かり。
① 都市に流入する下層人口のプールされる地域(コリ1, 1:4,12)
② 「パウロの共同体のメンバー『無学な者』(コリ1, 1:26-28)は修辞的表現ではなく共同体構成員の社会層…「十字架の言葉」の価値逆転的性格を共同体のメンバーの具体的構成によって論証しようとした」
③ 「パウロの『家(オイコス)の教会』は人名録から…生活の場であり…必ずしも富裕な人々を含むというふうに一般化できない」(p.211)。
「オイコスの二重の問題は…違った文化・宗教・意識を背負って同じ屋根の下に暮らす人々を『共同体」の成員として結び付ける『結合力』を欠いていた。もうひとつには、そこで暮らすめいめいが、自分を自分として認めることのできる根拠を欠いていた。…同じオイコスに身をおきながら…『過去』としての文化・民族・言語・習慣などの相違のゆえに、相互に排他的・敵対的な価値意識によって隔てられた人々の集合」(p.213)
「パウロの『福音』運動とは、まさに一緒にメシを食う運動だったのであり、それを可能にする根拠を提供できる宗教的メッセージをスローガンとして掲げた、社会・文化・政治運動だった。…オイコスぐるみ、地域ぐるみの大量参加を獲得できた。…オイコスという経済単位が<エクレシア>という共同体になった…さらに『コミュニティー・オーガニゼイション』型の集団に」(p.214)
2−2、パウロにおける差別の三領域
民族差別は闘いの核心、女性差別は拡大、奴隷差別への対応。
この三層を、どう批判し、どう継承するか。
2−3
解釈者自身の文化的・社会的位置付けが規定されている事の自覚を怠ってはならない。
「(現代の)教義学者が『信仰義認』をキリスト教教理上の問題に限定して考えることができるという立場を取ったとすれば、それは、すでに近代的・観念的・中産階級的、セクト宗教的解釈モデルを無自覚的に採用した事になる(「場」は住宅街の書斎)。」(p.206)
2−4
「パウロが活動した状況と最も近い類比を示しているような『場』を解釈モデルとして現代社会に求めるとすれば…私が作業仮設として設定しようとする解釈モデルは『国際化する都市社会下層におけるコミュニティー・オーガニゼイション(CO)の運動』、およびその運動のスローガンとしての『信仰義認』というものである」
2−5
パウロの生き方。民族主義・律法主義的世界認識による価値体系の相克、それに基づく人間・社会関係との決別。「律法」と決別できない「教会」主流との闘いを通して、実践的・理論的な先鋭化 -「教会会議」は一応の政治的妥協、アンテオケ教会を辞しての独立伝道者、この理論化が「律法の業」に対置する「信仰の聴従」という生活原理(ガラテヤ2:16 私訳ピスティスは「キリストの信実」)。
2−6
異邦人への福音。パウロの原体験には職人としての都市下層の生活体験。オイコス構成員として「汚れた者たち」を見下す立場の体験 − 民俗的伝統への固着によるアイデンティティ−への傾斜を求める青年期の増幅、だが、内面の葛藤[メシが一緒に食える関係],引き裂かれた場が共生の場へと転換の経験と関係作りの根拠を「キリストの十字架」と名付ける出来事から引きだし、彼の民族の本来的伝統である『創造者なる神』を結合の原理とする。ローマ3:24「ただで、(神の)恵みにより、キリスト・イエスにある贖いによって義とされる」は彼の教会の讃美歌。「万人罪人」論に対応する「万人義認」論となる。
3、パウロ批判を巡って
「現実と観念を逆転させる観念的特徴」「現実の社会構造に直接ふれてこない宗教空間を観念的に設定してその中で差別が克服されたのだ…といった時閉鎖的な宗教意識が生まれざるをえない」(田川)。
観念のコトバの多用は否定出来ない。それはユダヤ教黙示思想の神観を引きずっていたこと。権力社会が搾取のシステムを支えるために”救済“のシミュレーションが利用されるが、このような誤りの根をパウロが残したことも否定出来ない。
他方。パウロ解釈の伝統の責任はある。しかし、パウロは観念操作を業とするいわゆる「思想家」ではなかった。「福音する」という運動を展開した“社会運動家“であった。渡辺氏のパウロの評価。イエスがユダヤ社会の非差別層に向けていわば 「下へ」突破したのに対して、パウロはその運動を類比的に継承し「横へ」突破した。
渡辺さんへの問い。社会運動家の「コトバ」が、社会/文化の文脈を超えて、観念として伝わり、キリスト教神学の正統として「観念」の力を持ったのは、それが「人格言語」ではなく「記述言語」としての性格をその本質から持っていたからではないか。
渡辺さんは、パウロ運動の「《場》トポス」として、コリント共同体を社会的には、被差別下層、地理的には都市スラム家内工業地、運動の位相では貧困層の炊き出し会食、と位置付け「信仰義認論」をその共同体結合の原理とした、という。
だが、イエスのように、その結び付きの外への「悲しみ」を感受する射程があったのか。そんな観点からテキストにあたりたい。
(サイト記)
300本目の記事に「岩井健作の宣教学 ㉞」 の本稿を選びました。カテゴリーは「断片」です。健作さんは本テーマで早くから原稿を積み重ねておられ「全体像」から諸稿を再構成されるおつもりでした。筆者は全原稿をお預かりしていますが、健作さんに代わって数々の「断片」を完成させることはできません。少しずつアップします。