緑に光る美術館(2004 川和・エッセイ)

2004.5.2、川和教会ホームページ用エッセイ

(川和教会 前代務牧師、2004.3 代務牧師退任 健作さん70歳)

 川和教会は横浜の文化圏にあるのに違いないのだが、東急田園都市線では世田谷、渋谷の文化圏につながっている。

 その世田谷では世田谷美術館で2月28日から5月9日まで「小磯良平展」が行われている。遅ればせながら、先日、用賀駅で下車して緑したたる砧公園の中にあるこの美術館を訪れた。

 何故、この美術館で「小磯」が、との問いを抱いていたが、行ってみてその疑問はその日の空の紺碧のように晴れた。

「写実的絵画の一環として」の企画だという。小磯さんのあの写実のデッサンに魅せられている僕にとっては、懐かしい作品に再会できたこともさることながら、心して展覧された数々の新聞挿絵原画に出会うことができて、改めて「写実の画家」小磯さんの日常に触れる喜びを隠せなかった。

 世田谷在住の作家の挿絵を、との企画の配慮で、石川達三(1940-1963年 世田谷奥沢に暮らす)の『風樹』(東京日々・大阪毎日新聞に100回連載)から20点、『人間の壁』(朝日新聞に593回連載)から40点が展示されていた。

『人間の壁』の第15回「貧しさの中で(4)」、第321回「民衆の分裂(8)」、第400回「人間関係(14)」などには、小磯さんの聖書の挿絵と重なって思わず宗教性の漂いを感じた。

 それは僕に「ゲッセマネの祈り」「最後の晩餐」「復活」の構図とタッチを甦えらせた。

 小磯さんは特に宗教画を描いた人ではない。強いて探せば、例の日本聖書協会の『口語聖書挿絵』があるくらいだ。しかし、素描の線の、禁欲的で、抑えながら、しかも永遠を写し出すような澄み切った写実はこの人の生そのものの軌跡である様な気がしてならない。

「鉛筆で無造作に引かれた線は、仕上がった絵よりいつも面白く何か生き生きしているものである」

(『アトリエ』昭和39年9月号)とは会場に展示してあったこの人の言葉だが、「無造作」という言葉の中に、小磯さんの神に与えられた天才的写実の才能と、他方、日常の常人を超えた習練を思った。