ともに生きるために(2003 説教要旨)

2003年7月20日 川和教会礼拝説教
説教要旨、配布レジュメ

(川和教会牧師代務者2年目、健作さん69歳)

 今日は、私ども川和教会では「日本キリスト教海外医療協力会(JOCS)」から、宮本和子さんをお迎えして集会を持っています(JOCS:Japan Overseas Christian Medical Cooperative Service)。さて、その「日本キリスト教海外医療協力会」からは「みんなで生きる」という会報が出ています。教会にももちろん掲示されています。その5月号を見ますと「宮本和子ワーカー報告会 ご案内」の欄があります。

「2000年7月からカンボジアにおいて活動しておりました宮本和子ワーカーが、3年間の任期を終えて7月上旬に帰国します。その後7月19日から10月18日まで活動報告会を行います。JOCSがカンボジアでお母さんと赤ちゃんの健康を守るために実施してきた活動のことを中心にお話しします」。

 今日は7月20日ですから、報告会の「はしり」をお聞きすることになるわけです。ところでこのJOCSの会長を20年間お務めになった隅谷三喜男先生が今年の2月に86歳でお亡くなりになり、その追悼号が5月号に組まれています。ご存知のように、隅谷先生は経済学者として東京大学で長年研究と教育をなされ、労働経済論やキリスト教史の分野を含め、社会的な多面なお働きをされました。お葬式の時に配られた奥様の「ご挨拶」が会報にも載っていました。

「生涯、十字架を仰いで生き、職業も生活も教会中心に選び、この世的には全く無欲な人でした。16年前に癌の告知を受けてからは、終わりの日を見据えて、やらねばならぬと思ったことに集中していきました。…私に取っては、聖書が着物を着て歩いているような人でした」(夫人の言葉)。

「聖書が着物を着て歩く」。JOCSで言えば、その土地の文化や生活の衣を着て、聖書の真理が証しされるワーカーの働きになぞらえられる。

 コリント第一の9章19節には「わたしは、だれに対しても自由なものですが、すべての人の奴隷になりました。できるだけ多くの人を得るためです」は、内容的には、聖書「神の言葉」が着物を着ることと同質。

 福音は、神がイエスを通して働きかけ、一人ひとりをかけがえのない大切な存在として愛して下さった、というメッセージ。パウロのコリント伝道でこれをよく受け入れたのは、知恵や能力や家柄のある人ではなかった。

 ところが、福音を知的に理解する人が出てきて、素朴な人を蔑んだ。特にコリントの神殿に捧げられた「肉」の問題では両者の間に溝ができた。この手紙の8章9章の箇所はその問題のために書かれた。

 パウロは知識偏重(グノーシス的)信仰理解を批判した。

 神の愛に素朴に生きる人のレベルと同じになって喜びを共にすることを彼は選んだ。それが福音に「あずかる(共に交わりを与えられる)」ことだと知っていた。

「”サンガイ•ジュネイ•コラギ”(みんなで生きるために)」はネパールの村人の言葉である(岩村昇・岩村史子『山の上にある病院 – ネパールに使いして』新教出版 1965)。岩村氏は「そこにキリストがいる」といって、ネパールで医療活動をした。

「わたしは、どんなことでもします。それは、わたしが福音に共にあずかる者となるためです」(コリント第一 9:23)のパウロの言葉に彼の行動も重なっている。

(2003年7月20日 川和教会礼拝説教)


説教原稿は5ページ

礼拝説教

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