戦争と日本基督教団(2003 戦責告白)

2003.6.15、紅葉坂教会

(川和教会代務牧師、69歳)

はじめに

1.多少の自己紹介

1−1.戦争との関わり

 太平洋戦争(集団疎開組)。朝鮮戦争(農業と工業の二極化の経験)。広島(原爆の無差別殺戮)。呉(海軍の街の復興)。岩国(米軍基地、安保体制の自覚、ベトナム反戦)。神戸(近代化と沖縄・地震と国家)。

1−2.日本基督教団との関わり

「戦争責任告白」へ。「戦争責任告白」から。(別紙資料1、参照)

2.国家との関わりを巡って日本のキリスト教の二つの流れ

2−1.前史

 国家理念の枠内での教会という自覚の有無。主流における伝道・布教・教会形成の第一義的自己貫徹化。側流における国家との対峙。反戦。

2−2.教団の成立

 国家政策に協力(余儀なく、積極的にの幅あり)。
 宗教団体法による国家の宗教統制の中で、各派は「教団」により存命を計る。

2−3.敗戦以後

 根本的反省を経ないまま、占領軍の宗教政策、及びキリスト教ブーム、教勢の拡大志向−新日本建設キリスト運動の展開。1951年、日本基督教会の離脱。1954年「教団信仰告白」の制定。教会中心の流れ。

2−4.伝道不振。方策の反省。

 1956年、宣教百年第二次計画案「社会大衆への福音の浸透」可決。

2−5.朝鮮戦争(1950年)を契機とするキリスト者平和運動(1951年)。

2−6.クレーマー協議会(1960年)。教団宣教基本方策(体質改善論、1961年)。

『「宣教とは何か。a. …和解のみわざをなされることに信頼をもち、わたしたちの隣人に対して人格関係を挑むこと。…b. 従って宣教は、この世の現実のなかで、隣人と生活を共にし、重荷と弱さを共にしのび、世の罪とキリストによる神の国の希望に対して連帯責任を負う生活の中で遂行されます。…言葉による宣教はこのことと結びついて、その威力を発揮するのであります」(『日本基督教団史 資料集第五編』pp.187ff.)。

2−7.超教派による「ベト緊」(1965年)。「社会活動基本方針」(1966年)。

2−8.「第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白」(1967年)
「戦責告白」を巡る賛否の収集としての「五人委員会」答申。

3.「方策」から、「福音理解」の転換へ

3−1.

 万博キリスト教館建設に反対する運動(1969年)。教団への問題提起。教師検定。会議制。教団総会の休会(第17回総会、1973年)。教団成立・信仰告白制定などへの歴史(救済史歴史観、解釈学的歴史観)理解を巡る対立があらわとなる。

3−2.

 教義学から福音宣教(伝道・布教)の方向と、個別課題(被差別者・被抑圧者、反権力、反天皇制、靖国、性差別、沖縄、在日)から宣教の構築をする方向との対立(いわゆる「教会派」「社会派」の色分け)。聖書理解の多様化(教会教義的、聖書学の成果の援用など)。

3−3.

 沖縄キリスト教団との合同(1969年)とその「とらえなおし」可決(1978年)。「合同」の実質化の一つである「教団名称変更」(特設委員会案、後沖縄教区議案)は継続審議であったものを第33回総会(2002年)で廃案とされる。個別課題の宣教への否定決議(「靖国・天皇制情報センター」「性差別問題委員会」)。この間、問題が歴史の経緯や神学的論議、世界や日本の政治・経済社会との関連で扱われるよりも、教会政治主義的な文脈での扱いがなされてきたことは残念である。

4、宣教論と伝道論

4−1.

 どちらがベースか。教団は伝道の困難から社会大衆への浸透という伝道論の方策をさらに掘り下げつつ、第二次大戦下のキリスト教の戦争協力への反省をふまえ、「隣人と共に生きる」という宣教論(福音理解)をより根底的なベースにしてきた(例えば宣教委員会を伝道、教育、社会委員会やその他の個別問題の働きの総合的立場にすえてきた)。しかし、1970年代以降、政治主義的にこのような立場を排除する動きが大きくなってきた。そこには 宣教課題の多様化に伴う教会論的な論議・整備の不十分さ(例えば、教師論、聖餐論、会議制など)への防御が働いた。それが伝道論優先の結果を教団内に生んだ。その場合、伝道の内容は「共に生きる」ということよりも、キリスト教教義、イエス・キリストの啓示、贖罪の出来事への決断に事柄を集中させるために、決断を迫られ促される人間の生存への抽象化を起こす。言葉 (信仰告白的事態)による決断は、生存の状況への肉化(歴史的・宣教的事態)と相関的であることを失うならば、宗教(福音)の観念化は免れない。

4−2.

 宗教(福音)の観念化は、世俗主義の宗教利用に道を開くことになる。この道はいつかきた道(教義的に正しい福音理解をしていて、戦争協力させられた戦前)。

5.戦争の現在

5−1.

 アメリカのイラク攻撃以降、国連の歯止なきままのアメリカの拡張的様態での戦争遂行がなされ、「戦争」の正義に「キリスト教原理主義」が援用されている事態を、いわゆる「伝道論」への警鐘としなければならない。

5−2.

 アフガニスタン、イラクへの武力攻撃とアメリカのグローバリゼーションによる「戦争」の意味の変化。先制攻撃、メディア軍事翼賛体制、新自由主義経済による臆面なき再開発(ジェントリフィケーション)、軍事文化の普遍化。住民の管理体制、科学の軍事技術化。「民主的な国家への体制変革モデル」としての日本。

5−3.日本の状況

 アメリカのグローバリゼーションの一環としての経済政策(高失業率、正規社員の過重労働、賃金カット、リストラ、フリーター、労働組合の弱体化、ホームレス・自殺者の増加、消費者金融横行、中小企業倒産の増加)、「安保」体制強化としての軍事化(基地の恒久化、新ガイドライン、有事法整備、自衛隊の海外派兵)、軍事化を下支えするナショナリズムの高揚、メディアの自己規制、住民の国家管理(住基ネット、個人情報保護法等)。教育の管理(選別教育、愛国心の強要)、反人権・反福祉。

6.カウンター・グローバリゼーションとしての平和・反戦・反差別運動

 イラク反戦運動の世界規模の連帯(2003/2/15、600箇所、1,000万人)。

7.「助け合い、支え合う人間の歴史と論理」

 開かれた思想としての市民的公共性との二重性を持つ宣教理論の構築が戦争(閉ざされた拡張思想)への対抗的働きとなる。教団にそのような宣教論の共有を広げたい。

(断片)

「言葉による宣教はこのことと結びついて、その威力を発揮するのであります」という一節に注目したい。「言葉による宣教」とは、一般的な表現で言えば、「教義の布教」ということになる。日本基督教団が成立の時、当時の文部省に届け出ている「規則」のなかには、この法人の目的は「教義の布教を行うこと」だと言っている。同時にそこに「教義の大要」が付されている(資料1)。それは、16世紀ドイツやスイスにおける宗教改革以後のいわゆる福音主義教会のキリスト教教義を要約したものである。これが後の「日本基督教団信仰告白」の基礎になっている。とすると「言葉による宣教」ということは、大まかに言って、「教義の大要」に言われている言葉を述べ伝えて、それを信じ自分の人生についての考え方をその言葉で言い表してく仲間になってもらう、ということになる。誤解を恐れずにいえば、宗教の信者獲得である。

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