愛の足あと(2003 神戸真生塾 竣工感謝礼拝)

2003年5月24日(土)社会福祉法人 神戸真生塾(公式サイト)
竣工感謝礼拝説教原稿より

(神戸教会牧師退任1年、神戸真生塾理事、
川和教会牧師代務者、健作さん69歳)


ヨハネの手紙第一 4:7-12

(詩「あしあと」を紹介した後に)

 この詩には「私は、あなたを愛している」という言葉があります。愛を感動を持って語るのであれば、この詩は愛についての的確な言葉を宿しています。

 元来、愛というものは、ただ黙って、隠れた場で、黙々として、その働きだけが残るものであって、表で語られてしまう時には色あせてしまうものです。そんな中で、私は、なぜか、真生塾でこの詩のことを思うことがしばしばありました。

 この、新しい建物の位置には、古い本館がありました。それが解体された時、工事の現場を監督された方は、何か後々の時代に、記念になるようなものはないかと見て回ったのですが、そのようなものは特に見当たりませんでした、と言われていました。古い建物は、1933年、昭和8年に竣工しました。あの古い建物は、神戸の風水害にも耐え、太平洋戦争下の空襲にも耐え、そして阪神淡路大地震にも耐えました。堅牢な建物でした。飾りの一つもない簡素な建物でした。しかし、階段にも、それぞれの部屋にも、その建物には見えない「愛のあしあと」が一杯ついていました。その施設を愛し、その時代時代に、ここでかけがえのない成長を遂げた子供たちをこよなく愛した多くの人、旧職員の人、地元の方たち。それらの人達の「あしあと」だけは、沢山に刻まれている建物でした。

「見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存在する。」と聖書は語っていますが、「愛のあしあと」は、そんな響きをもっています。

 私の手許に、今から76年前、1927年(大正10年)に出版された、キリスト教の本があります。『信仰30年基督者列伝』(警醒社)という題名です。その当時のキリスト者の働きが記されています。

 神戸真生塾の関係では、創立者の一人、矢野彀(やごろ)さんのことが載っています。「同氏は…明治19年、鳴行(めいこう)社燐寸製作所に入りたりしが、貧民児童が早朝より夜更けまで立ち働き、教育を受くるの機会なきをみて、これが救済をなさんと欲し、有志と相計り新田夜学校をおこし、其の教育のために尽力したり。その他…氏は児童の教育は、宗教的な根底を有せざるべからずを感じしが…ついに牧師・長田時行氏より受洗せり」とあります。

 彼は、まずキリスト教の信仰をもち、愛につき学び、その理念や理想が分かったから、子供たちの前に立ったのではないのです。子供たちが貧しく、虐げられている現状を見るに見兼ねて、その傍らに佇み、自らも困惑して、その困難、困窮がなお支えられることを信じて洗礼を受けるのです。「宗教的な根底を有せざるべからず(持たなければならない)」とは、理念、原則、建て前のことではありません。くずおれる自分がなお支えられると言うことです。自分一人が頑張っていると思える時でさえ、実は「見えない神の御手」に支えられていることが、あの「あしあと」のように後で分かるのだと信じて、孤独、辛さ、試練に耐えて、歩み続けることが宗教的根底なのです。

 今日お読みした聖書は、式次第に印刷されています。そこには「わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして御子をお遣わしになった。ここに愛があります。」と記されています。加えて、そこには「いまだかつて神を見たものはいません」と記されています。そうです。神は見るものではないからです。しかしこう記されています。「わたしたちが互いに愛し合うなら、神はわたしたちの内にとどまってくださり、神の愛がわたしたちの内で全うされているのです。」(ヨハネの手紙 第一 4:12)

 神戸真生塾のモットー、あるいはキーワード(鍵語)を、一つ、しかも漢字一文字で選べと言われれば、それはこの施設に関わりのある方は迷わず「愛」という言葉をお選びになるでしょう。そうして、そのとき同時に思うことは、今は亡き塾長・水谷愛さんの名前も「愛」であったということです。神戸真生塾で育たれたある方が、「水谷のお母さん」を「お母さん」として、「天の父なる神様」 を「お父さん」として生きて行きたい、こんな言葉を語りました。私には忘れられません。

 神戸真生塾にはイエス様の足跡が根底にあります。そうしてそれに続く沢山の「愛のあしあと」があります。

 新しい立派な建物には、まだ「愛のあしあと」はそんなに刻まれておりません。これから、ここで生活する子供たちも、子供たちとともに生きる大人たち、職員、ここから巣立った塾生、地域の方、学校のお友達、先生、行政の方たち、教会の人達、みんなで、見えない「愛のあしあと」をこの建物に刻んで行こうではありませんか。

 お祈りをします。

天の父なる神様
 新しい建物をありがとうございます。どうかこの建物が、神様の愛にふさわしく用いられますように。これを建てるために心血を注ぎ働いた兄弟姉妹の労をねぎらい、祝福してください。この建物に「愛のあしあと」が沢山刻まれて、子供たちが心豊かに育っていくことができますように、お守りください。主イエスの名によってお捧げします。アーメン

(2003年5月24日 神戸真生塾 竣工記念礼拝説教)


神戸真生塾(公式サイト)



礼拝説教

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