2003年5月18日 茅ヶ崎恵泉教会(神奈川教区)礼拝
説教原稿の2ページ分を添付しました。
この2ページを読むと諸々合点がいくと思います。
(神戸教会牧師退任1年、川和教会牧師代務者1年、健作さん69歳)
ペトロⅠ 4:7-11
教会(神戸)の掲示板に「愛は多くの罪を覆う」という聖句を書きました。それに「心惹かれて」と礼拝に若い女性が来られました。やがて、神の「赦しの愛」を体験されました。それは、例の「あしあと」という有名な詩の最後の部分の意味を悟った喜びの体験にも似ていました。「苦しみや試みの時に、あしあとがひとつだった時、わたしはあなたを背負って歩いていた」。イエスとはそんな方だと知って、彼女は新しい人生へと歩み始められました。イエスの愛を基として、励まし合っていくのが教会です。歴史の現実の教会は愛の完成に向かって、絡みつく罪との闘いを、課題として与えられています。「ペトロの手紙」が宛てられた教会も、異教徒からの迫害の中に置かれていただけに、教会の信徒同士の交わりの質が、神の赦しの愛に裏打ちされたものであることを強く求められました。7節の「思慮深く、身を慎んで、よく祈りなさい」以下の言葉は、その勧めです。現代の教会の状況でも身につまされます。しかし、この書簡の「愛」は、内向きへの傾斜が強いのです。それに比べて、箴言10章12節「愛はすべての罪を覆う」は、「憎しみを引き起こす」世界に向かっての切り込みがあります。愛は「すべて」に立ち向かう力であります。
(2003年5月18日 茅ヶ崎恵泉教会礼拝説教要旨)




