インドと神戸教会の井戸

神戸教會々報 No.155 所収、1999.8.15

(健作さん66歳)

野の百合は如何にして育つかを思へ 勞せずして紡がざるなり。 マタイ傳 6:28


「インドは貧しい人々の国である。しかしインドは貧しい国ではない」

とはR・バームダッド(『現代インド』R・バームダッド、大形孝平訳、岩波書店 1956、p.5)の言葉である。この言葉は、その逆を連想させる。日本は豊かな人々の国である、しかし豊かな国ではない。経済大国だった日本では、豊かさとは何かが論議されて久しいが、私利私欲を貪り、不正を日常とする、「国の政治・経済・金融・福祉・医療・教育・地方自治などの、位高き人士」の絶え間ない醜悪な事件は、この国の根幹を冒す病魔に等しく、「豊かさ」というイメージからはほど遠い。

 豊かさとは何か。

 それは、人間の成熟度を意味する。成熟度とは、人と人との関わりの愛と信頼と希望への密度を表すものであろうか。そういう意味では、初めて体験したインドへの旅は豊かなものであった。

 神戸教会の社会部は1990年12月『渇くアジアと世界に水を』(アジア・井戸掘り・民間交流)をテーマに社会部の鈴木誠也兄の講演を聞き、翌1991年7月以来、教会員の有志によりアジア問題への取り組みの一つとして「1ヶ月100円献金運動」を続けて井戸掘りの運動に参加してきた。

「1995年インド・カルナータカ州ビジャプール近郊コンヌール村の小学校に続き、97年マハラシュトラ州プネー近郊ダウンド村の職業訓練学校に2基目の井戸が完成した為、その完成式典に参加することを目的として、『インド贈呈井戸見学ツアー』が神戸教会員4名を含めた8名にて実施された。」(1999年度総会報告書)

と、この旅は報告されている。鈴木誠也兄は夫人邦子さんの遺影を抱いての参加だった。もはや若くない者達にとって、乾季砂埃のたつ未舗装に近い道路の連続10時間を超えるバス移動を含めた強行日程は少々過酷ではあった。

 しかし、日本人が訪れるのは初めてだと、子供を加えて200人以上も集まったコンヌール村の式典と歓迎ぶりは、ヒンズー教の習わしを経験したことと共に忘れられない。

 デカン高原の厚い岩盤を100メートルも掘削して汲み出された無機質な水は、大地の大きさと堅さを感じさせた。この周囲の子どもたちは、この井戸で水汲みから解放されて、ブロックを積んだだけの建物ではあるが小学校に行って、学ぶことが出来るようになったという。

 村の指導者たちは、井戸を斡旋した陶芸家で、彼が設立した「小規模農村産業振興協会(BSVIA)」の代表であるクンバール氏に、今度はトイレを作りたいと語っていた。そこでは政府は遠い存在らしい。国境を越えてNGOが繋がりを持つ世界では人は人種・民族・宗教・思想・貧富の意識から自由になって横並びへと開かれる。

 もう一基の井戸は、がらりと様子が変わり、やはりデカン高原ではあるが、この地方の学園都市プネーの近郊、キリスト教主義の幼稚園と職業訓練学校に寄贈されている。「インド社会事業活動協会(ISSA)」の事業である。

 代表者のジョン・ザカライア氏は同志社大学の客員教授も務めたプネーの大学教授、労働政策が専門、精力的な活動家。92年からアジア協会との協力関係にあるという。都市で技術を持って生活できる人材を育てるという考え方で、先の農村に生活基盤を興すという考え方とは、また別な運動である。

『インドで考えたこと』(岩波新書 1957)を著した堀田善衛氏は、デカン高原での風景をこう記している。

「道路工事のような重労働に従っている婦人労働者の群れを私は眺めていた。赤青などのサリーを着て頭の上に乗せたザルに煉瓦や砂利などを入れてのろのろと……いったいどうやって生きて行くのか。……(しかし)この婦人たちがインドの未来そのものである子どもを生むのだ。見ていると、涙も涸れてしまう。」

 40年後、私が眺めた風景もほぼ同じだった。この旅行の一日を私たちはムンバイ(旧ボンベイ、人口1400万人)で過ごした。東京にも滞在していたという、ヒンズー教徒の老婦人のガイドさんは、英国からの血の滲む独立の歴史の話を聞かせつつガンジー記念博物館、マザーテレサの施設、そして都市スラムの幾つかを案内してくれた。

 もちろん「ルピー、ルピー」と群がる街頭の子ども達の手の攻勢も体験した。宗教は82%がヒンズー。ガイドは彼らなりに幸せなのだ、とヒンズーの社会観を語っていた。

 かつて加藤周一氏は南北問題に触れ、富める北の人々の価値観の転換を促した一文の中で、既成の宗教に力があるとは思わないが、「野の百合はいかにして育つかを思え、労せず、つむがざるなり」という心がそれをなさしむるであろう、と語っていたことを思い起こす。

 井戸は、私たちもが豊かさへと旅するその徴でもある。