1996.12.24(火)、神戸教会、午後7:30-8:45
クリスマス燭火讃美礼拝
(説教要旨は12月29日週報に掲載)
▶️ クリスマス礼拝「更に恵みを」
(神戸教会牧師19年目、牧会38年、健作さん63歳)
メッセージ:「神との不思議な出会い」岩井健作
聖書「光は暗闇の中に輝いている」(ヨハネによる福音書 1:5、新共同訳)
アンサンブル:シュピール・ドーゼ
合唱:神戸教会聖歌隊
(クリスマス燭火讃美礼拝出席372名)
(礼拝後キャロリング参加21名)
今夜はクリスマスイブ。
「イブの素敵な過ごし方」なんていうエッセイを読んではいかがでしょう。
”シングルの人々にとってクリスマスはつらいシーズンだ。特にイブの夜。夫婦や恋人同士には楽しいイベントの一夜でも、恋人のいない若者にとってはまさに”夜風が身にしみる”心境を味わうとき。友達と飲みに行って騒ごうにも、友達にはしっかり恋人がいて誘えない。……黙々と残業なんかしていると逆に白い目で見られる。(あいつイヤミだなぁー、こっちが帰りにくくなるじゃんかよ)と思われてしまうわけだ。仕方なく帰宅して、テレビでも見ようかと思えば、イブの恋人たちを描いたトレンディードラマ……結局、子どもたちが寝るような時刻にフテ寝するしかない。(クリスマスのバカヤロー!)と胸の中でつぶやきながら……”
このエッセイを終わりまで読むと案外すんなり終わっています。
”せっかくのイブ、悲しく過ごすよりぜひ教会へ。人と神さまとのステキな出会いがあるかも……”
このエッセイは、林あまりさんの『光を感じるとき』(林あまり、教文館 1996)の一節です。
彼女は歌人として有名で、過激に性と愛を歌って話題となった歌集『マース・エンジェル』(河出文庫 1986)があります。
1963年東京都生まれ。成蹊大学文学部卒業。15歳で日本基督教団 頌栄教会で洗礼を受けています。
私が彼女の文章に出会ったのは「こころの友」(日本基督教団出版局発行)誌上です。
彼女のエッセイには20代でぶつかった孤独が滲んでいます。
”真暗な中でひとりぽつんと置いてけぼりになったような気分のとき……ほんのわずかだけれど遠くの方に差し込む光に気がつけば……いいえ、あるという真実に気がつけば、生きてゆくことが出来るのではないでしょうか……”
”ひとり歩く欅並木の向こう側、誰れかがやっぱりひとりで歩く”
聖書のクリスマス物語の特徴は、羊飼や東の国の博士たち、それに預言者アンナなど、孤独に耐えている人たちが救い主である幼な子イエスに出会っているということです。
福音書では、盲人のバルテマイ、取税人のザアカイ、遊女、病人など、孤独な魂の持ち主です。
「光は暗闇の中に輝いている」(ヨハネによる福音書 1:5、新共同訳)
孤独の意味が深まるほどに《出会いも深くなる》という不思議な出会いの構造を持つ方がイエスです。
林あまりさんは次のように表現しています。
”裸のまま私を受けて入れてくださるのは祈りを聴いてくださる方である”
”初めての雪が素肌にしみこめばさやかにつつむ Christmas Kiss”(林あまり)
こんな歌の中に、孤独であるほどに温かい出会いが秘められています。
(1996年12月24日(火) 神戸教会燭火讃美礼拝説教要旨 岩井健作)


