1995.12.3、神戸教会週報、待降節第1主日
(神戸教会牧師18年目、牧会37年、健作さん62歳)
教会堂の塔の修理工事がいよいよ終わりに近づいた。
11月29日に施主の「検査」とのことで、営繕部・藤村洋兄、横田義夫兄、青木伝道師、岩井と施工者側からはアレス(株)の社長・渡部日出男氏、現場監督・大重智氏、工事監督・原神敬氏が加わり、3階ギャラリー、階段、被害のひどかった塔と会堂本体との接続部、新しくタイルを焼いて修復した外壁、鐘塔最上部を、ヘルメットを被って具(つぶさ)に昇り降りし、視察をした。
正直に言って、よくぞここまで修復ができた、という感無量の思いが込み上げてきた。
修復の基本構想を指示してくださった、神戸大学・足立裕司教授、京都大学・大西澤英和講師、それを具体化した(株)アレス、そして何よりも細部を手がけた職人さんたち(この人たちは名前すら告げずに、しかし業を残してくださった)に心からの感謝を捧げたい。
施工の経過と細部については、営繕部からご報告があるであろう。
山口県のI地方には「舞が舞いますかいのー」という言い回しがあったことを思いだすが、舞台裏の段取り、経済が回っていくか、という意味である。
こちらについては財務部と募金委員会に任せっきりであるが、完工と同時に最終のお支払いがある。
「舞が舞いますかいのー」、宜しく頼みます、という気持ちが切(せつ)である。
地震の修復工事から幾つかのことを学んだ。
施工者にはそれぞれの規模があるということ。
大手ゼネコンと小さな工務店の間にあって、きめ細かで、施工対象の状況に臨機応変に対応できる規模の施工者に出会ったことは、感謝であった。
それは「建設の思想」と「修復の思想」の違いに対応できるか否かの違いでもある。
修復には、古いものへの愛着と工夫と手間が必要である。
理念からではなく、そこに歴史を刻んで存在する物事の実態から考える発想が常に必要である。
理念と現実は、相互に干渉する。
しかし、ともすると弱くなりがちな現実や実態から一度できあがった理念を破るということは、なかなか出来にくい。
頭と手という関係から言えば、手が掘り出すということであろうか。
職人さんの感性と繋がる規模の施工者ということに教えられた。
地震の場合、理念で復興を唱える国などの政策と被災の現実を生きる地方自治体の考え、さらにその行政と生活を持続する街の住民とのせめぎ合いの中でも、この度の工事は一つの比喩を教えてくれる。
アドヴェントを迎える。新しい季節だ。
思いを新たにして、被災状況の全体を心に覚えつつ、宣教に励みたい。
(1995年12月3日 神戸教会週報 岩井健作)




