『為ん方(せんかた)つくれども希望(のぞみ)を失わず − 藤村透・闘病の記録』より(2)(1993-95 往復書簡)

1995年12月15日発行、藤村洋編著

(神戸教会牧師、健作さん62歳、1994年から震災直前までの出来事)


 透がくじけずに前向きに考えることが出来た陰には二組の牧師ご夫妻の一方ならぬ愛情とケアがあったことを感謝をもって申し上げなければならない。岩井牧師と児玉先生である。

 透が日記に書いているように岩井牧師は透にとっては第2の親のような立場であり児玉先生はおじいさんであった。電話で病気のことをお知らせしたとき岩井牧師も児玉夫人もともに電話口で「えっつ」といって絶句された。病気などとは縁のない元気な子であると思っておられたから。

 入院するとすぐに岩井先生が、そして引き続いて児玉先生がそれぞれ病室を訪れ透と和代を見舞って下さった。聖書の言葉をひいて慰め、励ましそして祈って下さった。この祈りがどれほど大きな慰めであったかについて、透は美奈子への手紙の中に記している。

 また、透は病気の宣告を受けた時真っ先に会いたいと思った人が岩井先生であったことも、同じ手紙の中で述べているが、それに応えるかのように岩井先生のケアはまことに手厚く、心配りの行き届いたものであった。神戸にいる間は忙しいスケジュールの間をぬって病室を訪問し様々な話題で病者を慰めそして和代を励まし、帰り際には必ずともに祈ってくださった。先生は知と意志の人であるが透にたいしても「根底を神に委ねつつ、意志的に病と闘うこと」をいくども手紙の中で述べて励まされた。この言葉は透のみならず周りの家族たちにとっても大きな励ましであった。この病との戦いの間、私と玲子はしばしば枕を濡らした。特に朝がつらかった。点滴に縛り付けられままならない辛さ、思うように食べられないこと、痛みのことなどを思うにつけ、いとおしさで涙が溢れるのをこらえられなかったのだ、このような感情に沈み込めば、おそらく底までいってもとどまることはなかったであろう、そのような私たちを踏みとどまらせたのはこの岩井先生の「意志的に!」という言葉だった。

(上掲書 p.16-18)


 そして数日をかけてソフトのインストールを終えて早速に12月19日、岩井先生宛に手紙を出している。後にその全文を掲げるがこれには和代さんの描いた透の漫画イラストがついている。
 この手紙が年賀状を除いては透の出した最後の手紙になったと思う、新しいパソコンの初めてのアウトプットが敬愛する牧師宛で、最後の手紙となったということは透の1年3ヶ月の闘病生活を象徴するようなことであった。

(同書 p.179)


岩井先生

 日増しに寒さが増してきました。病棟の北側から見える山々には雪がうっすらと積もっているそうです。この部屋は相変わらず温室で、昼間晴れてさえいれば暖房はいりません。しかし、朝晩の冷え込みで冬の到来を感じています。

 先日は祖母の前夜式にご出席下さり、ありがとうございました。6月の父方祖母の時もそうでしたが、病床にあって見送ることができないことに歯痒さを感じました。しかし同時に全てのことを「聞く」だけで実際には何も見ていないため、現実感がなく、妙に悲しみが湧いてこないのも事実です。母方の祖母宅には足かけ12年住みました。小学生の頃から頻繁に泊まりに行っていましたので、きっと家に帰ったら実感が湧いてくるのではないかと思います。

 治療の方は11月初旬から始めた化学治療が一応終わったものの、まだ白血球値が200程度で増えてくる見込みもないため、年末年始とも病室で過ごすことになりました。本来ならここでGCSF(白血球を増やす薬)を投与して無理矢理にでも白血球値を上げる所ですが、今回の治療では腫瘍細胞が充分叩ききれていなかったため、GCSFで悪玉細胞も増えてしまう、ということになり投与が中断されました。いやらしい話で、悪玉が増えると今度はそれが原因でDIC(血液凝固障害)という症状を呈し、血小板や凝固因子がどんどん無駄に使われて非常に出血しやすい状態になるのです。こうなるといくら血小板輸血をしても焼石に水で、次々と皮下出血等を起こします。12月初旬にこの症状が出てGCSFを止め、DICを治す治療をし今は平常に戻っています。(平常と言っても、週に4回程度血小板輸血をして普通の人の10分の1程度の値がキープできる、という程度なのですが)

 そうすると、次はまた化学治療に入り悪玉を叩くのが普通なのですが、既に見つかっていたはずのドナーの方との最終コーディネイトが始まりました。そこで、ドナーの方の都合の良い時に移植できるよう、こちらの治療は中断し今は何もしていない状態です。幸い白血球がなくても今は感染していないため熱も平熱で比較的普通の日々を送っているのですが、「待つ」だけの時間が何となく無為に思えて今一つ気合が入らないこの頃です。

 さて、話は変わりますが、先日ノート型のパソコンを買いました。今まで使っていたワープロでも特に問題はないのですが、重たくて遅くて何となく古くさい(と言っても7年くらい前のものですが)のと、病室で暇なうちに少し最近のパソコンに慣れておこうか、という動機で買いました。この手紙はそのパソコンで書く最初の文書です。先般の先生の手紙同様(注:初めてのワープロによる手紙)四苦八苦しながら書いています。前頁の絵は、和代がお絵かきツールで描いた私の似顔絵です。

 今度の正月はここで過ごすのですが、正月3が日は血液センターの業務が止まるため、3が日に輸血する分の血小板を提供してくれる人を探してほしい、とのことを先日主治医から言われました。提供者の条件は、非血縁者で、私と同じO型で、正月3が日に必要があれば病院に来られる人で、しかも輸血できるかどうかの検査のために事前にこの病院に来てもらわなければならない、というかなり無理な依頼でした。もう少し早く言ってほしい、というのが正直な所ですが、和代の親類・知人、私の友人に声をかけたらO型の方が全て承諾して下さり、その日のうちに必要な人数を確保することができました。中でも私の友人は採血検査のために休暇を取って関西から名古屋に来てくれる訳で、本当に周囲の人の気持ちを有り難く思いました。平生の輸血にしても、どこかに提供者がいるわけで、他人に助けられて生きているのは今に始まったことではないのですが、こういう形で友人・知人が快諾してくれると改めて「生かされている」自分を感じます。

 今週はクリスマスを控え教会が一番慌ただしい時かと思います。今年はイブが土曜日ですから、讃美礼拝などはすごく賑わうのではないでしょうか。我々も病室でささやかにクリスマスを祝うことにします。どうか風邪など召されませんように。ではまた。

12月19日 藤村透

(同書 p.187-189)


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