永眠者追悼・記念の祈り(1984 週報・聖徒の日)

1984年11月4日、降誕前第8主日、聖徒の日、
礼拝説教「永遠の所属
礼拝内「永眠者記念式」148名
午後「納骨者記念式」於舞子墓園教会納骨堂、89名
画像の絵皿(神戸教会所蔵)は小磯良平画伯より寄贈
小磯画伯の婦人像(1989 随想より)

(牧会26年、神戸教会牧師7年目、健作さん51歳)

この日の説教:ローマ人への手紙 8:31-39、「永遠の所属」岩井健作


永眠者追悼・記念の祈り

 主イエスの父なる神、我らの主よ

 今朝、私共は永眠者記念・聖徒の日の礼拝を、遠くより近くより、西から東から、この会堂に集い守っております。

 この年、記念をする主の御許にある兄弟姉妹の名前が万感の追悼の思いを込めて朗読されました。

 特に、この一年の間に主に召された方々のことを思うと、私共は悲しみとさびしさを禁じ得ません。

 それ故にこそ残された遺族の心情を一層身にしみて思います。

 どうか、遺族近親の上に主の御慰めをお与え下さい。

 私共は、それぞれの兄弟姉妹が地上にあった時、主を信じ、主の導きを受け、主イエスのあがないといのちにあずかって、その生涯を全うしたことを覚え感謝をいたします。

 また主の器、神と共に働く者として数々の信仰の実を結ばせ給いしことを感謝いたします。

 私共は先週、私共の教会の110周年を記念いたしましたが、これらの今は亡き兄弟姉妹は、その教会の歴史を一つひとつ刻んでこられた方たちです。

 その生涯に隠された信仰による遺産が宿されています。

 わたしたちは、主の助けと導きとにより、先達の残したものを、受け継ぎ、活かし、育て、私たちの時代にふさわしく展開していくことが出来ますようお願いします。

 今日、多くの遺族の方たちとの交わりを与えられていることもその一つです。

 交わりを主にあって豊かなものとならしめて下さい。


 また、私共は記念礼拝をもつ度に、すでに召された兄弟姉妹の存在の新たなる意味を悟らされます。

 「彼は死んだが、信仰によって今もなお語っている」(ヘブル人への手紙 11:4、口語訳)

 とのみことばを信じることによって、亡き人が単なる過去の人ではなく、主にあって私たちに今なお語り、そして共なる人であることを覚えて感謝いたします。


 また、私たちが記念会を守ることにより、自らの肉体の生には終わりがあることをも覚えることが出来ますように。

 生の終わりを成り行きにまかせることなく、「どのように自分の生涯を閉じるか」について、絶えずあなたの導きを祈り求める者とさせて下さい。

 日々、主イエスの十字架の死に結びついて、古き人が死に「真の義と聖とをそなえた神にかたどって造られた新しき人」(エペソ人への手紙 4:24、口語訳)として生きることを得させて下さい。

 それ故に「一日の苦労はその日一日だけで充分である」(マタイによる福音書 6:34、口語訳)とのみことばに生きる者とさせて下さい。

 これらの祈りを、ここに集う者一人ひとりの追悼の祈りに合わせ、希望の主、イエス・キリストの名によってお捧げします。

(1984年11月4日 永眠者追悼・記念の祈り 岩井健作)


祈祷

1984年 説教・週報・等々
(神戸教会6〜7年目)

error: Content is protected !!