「石井幼稚園・石井伝道所だより」
1984年4月号 所収
(神戸教会牧師・いずみ幼稚園々長
健作さん50歳)
見よ、子供たちは神から賜った嗣業であり 胎の実は報いの賜物である。(詩編 127:3)
三月の終わりでNHK朝の連続テレビ小説「おしん」(脚本:橋田壽賀子)も終わりました。
あのドラマの最後の方を観ていて「親はいつまでも親」という実感を今さらの如く濃くいたしました。
スーパー経営に熱心で仕事一本の仁(ひとし・高橋悦史:おしんの次男)の家庭は離婚寸前に追い込まれる訳ですが、そんな息子に人生というものをもう一度思い返させるため、80歳を越えたおしん(乙羽信子)は自らの手でスーパー拡大を阻止してしまいます。
その時、旧知の恩人・浩太(渡瀬恒彦)におしんが言うセリフは
”あの子をこのようにしてしまったのは私の責任です”
ということです。
親から見れば、良かれと思って一生懸命努力して育てた結果が、一見人生のプラス(+)であるように思えたのに、長い長い目で見たらマイナス(ー)となっていると気がついたら、さぞ辛いことでしょうが、それすら自分の責任として被っていくところに、親としてのおしんの姿があります。
人生を強く生きることを教えようとすれば、それに伴う副作用もあるでしょう。
強さと力だけでは生きられないという面を、おしんは80歳にもなって子に伝える時を許された訳ですから、それを考えれば、親の子育ては生涯の仕事であるわけです。
それ位の覚悟でやらねば子育てなどは出来ないものでありましょう。
聖書は、子は神から賜ったものだと言っていますが、そうであるならきっと、親として責任を果たす力も神から生涯与えられるのではないでしょうか。
子は親のものだなどと、親の力をいたずらに行使すると、子の方が力を持った時、惨めな親になります。
死ぬまで親であり続ける親、いや死んでも親である親になりたいものです。
親は神から与えられた役割であることを信じる時、そのことは全うされるでしょう。