牧会祈祷(1981年10月)

1981年10月11日 神戸教会礼拝
「牧会祈祷」原稿

(神戸教会牧師4年、健作さん48歳)

我らの心の思いを知られる神よ

 この聖日の朝、私たちはそれぞれあなたから与えられている生活の持ち場より、この礼拝堂にあなたの招きに応えて集まってまいりました。共に公同の礼拝にあずかることを感謝し、み名を讃美いたします。

 どうか礼拝をはじめから終わりまで導いて下さい。私たちがなさんとしている罪の懺悔も悔い改めも、信仰の告白も、讃美も、献身も、あなたの目から見られるとき、まことに貧しく、形だけのものに過ぎません。しかし、あなたに依り頼む切なる思いをよみし、きよめて、あるがままを受け入れて下さる恵みを示して下さい。そして、あなたのみ言葉が私たちに伴って、私たちを厳しく審き、また活かすことのないままで家路につくことがないようにして下さい。私たちが経験している喜びや悲しみ、期待や思い煩いの一つ一つの事柄の中に、あなたのみ手とそれに伴うみ言葉を心近く思い起こすことのないままでこの場を去ることのないように導いて下さい。長い人生をあなたに付き従ってきた者にも、また信仰生活の途上、試練の中で心鈍くなり冷えた者にも、また今日はじめて聖書の言葉に接する者にも、等しくあなたが、すべてご存知で、必要とされる魂の養いを燦々と注ぐ秋のやわらかな日差しの如く、注いで下さいますよう祈り求めます。

 父なる神、本日10月第2の日曜日は、私ども日本基督教団では「神学校日並びに伝道献身者奨励日」として礼拝を守っています。伝道者の養成は、教会にとって大事なわざであり、教会の将来がかかっている問題であります。私どもの教会も過去100年余りの間に実に多くのよき賜物を持った牧師、伝道師、神学生を与えられて宣教のわざが進められてきました。どうか、これからの日本の伝道を負っていく若き献身者を私たちの教会の群れの中に起こして下さるよう切にお願いします。

 今日、教師の養成は、単に神学の勉学のみならず、非人間化されたこの社会や時代の中で、主イエスに従って主イエスが人の世の悲しみを悲しまれ、その罪を負われたように、神のみこころに従う信仰と強い召命への応答を求められています。どうか、今神学校にいる若き兄弟姉妹を守り導いて下さい。またそこで神学教師としての役目を持つ多くの器を祝福して下さるようお願いします。

 父なる神、今朝も、病める兄弟姉妹をみ霊により励まして下さるようお願いします。また教団・教区に属する無牧の教会を省みて下さい。一人一人がたずさえ来たりし祈りと共に、この祈りを主イエスのみ名によりて、み前に捧げます。アーメン。

(1981年10月11日 神戸教会礼拝 
牧会祈祷 岩井健作)


説教原稿は14ページ。


祈祷

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