1979.3.4、復活前第6主日、神戸教会主日礼拝・神戸教会週報
本稿「牧会祈祷」は3月18日の週報に掲載
(牧会20年、神戸教会牧師 1年目、健作さん45歳)
この日の礼拝:コリント人への第一の手紙 10:14-22、説教題「悪霊か神か」
父なる神。
私たちは今、四旬節・レントに入って最初の日曜日、ここに招き集められ、あなたに聞き従うために公同の礼拝を許されていますことを感謝いたします。
あなたは私たちそれぞれの生活とそこで心に思い計ることをよくご存知です。
「義人はいない。ひとりもいない」と聖書にあるごとく(ローマ 3:11)、あなたの前に立つことはできません。
しかし、今ここに私たちがありのままで在るごとく、切り捨て給わず顧みてくださいます。
そればかりか、私たちの思いもつかない方法で、私たち一人一人に愛を注いでくださっています。
あなたは、イエスの十字架の苦しみと死において、私たちの生活の最も暗い惨めな部分に繋がって入り、私たちの冷えた魂を温め、不自由さを緩めてくださいました。
どうか、このことが生活の一コマ一コマにおいて、私たち自身の身をもってわかるように、聖霊の導きを与えられ、イエスの十字架の道をたどる者としてください。
父なる神。
今日の聖餐式を通して「キリストの肢(えだ)」としての思いがますます深くなるように、祝福を与えてください。
3月となり、教会の宣教の働きは年度の区切りを迎えました。
それぞれのこの一年の信仰と奉仕を顧み、反省と新しい決断をすることができますように。
中心となって務めを担っている役員会に特に恵みを賜りますようにお願いします。
父なる神。
あなたを求めて、礼拝に出ている兄弟姉妹を憶えてください。
一人一人の心の求めに応じて、福音の真理を示し、信仰を与えてくださるよう、お願いします。
教会の群れの中で、健康を損ねて床に着いているため、老齢のため、負うべき務めのため、遠くに離れているため、旅のため、礼拝を同じくすることのできなかった兄弟姉妹をそれぞれの場で顧み、祝福してください。
父なる神。
私たちには、イエスがこの世の悩みと悲しみを負われた故に、私たちも見過ごすことのないように示されている社会の問題がたくさんあります。
その一つ一つにつき謙虚に学び、また私たちの手で出来ることを探し、それを通して繋がっていくことができるように強めてください。
そのために労している諸教会とその働き人、日本のみならず、アジアの諸教会を含めて顧みてください。
この祈りをここに集う兄弟姉妹の心の祈りに合わせ、主の御名によって捧げます。アーメン。
(1979年3月4日聖日礼拝。岩井牧師による)