”違和感を持続させる” – 反戦喫茶「ほびっと」開店2ヶ月(1972)

1972年5月10日発行「ジャテック通信 第6号」ジャテックセンター

(岩国教会牧師、健作さん38歳)


 ここ数日の新聞報道が伝えるように、岩国基地からのベトナム出撃は公然の事実である。いろいろな人から情報が入る。スカイホークが基地から見られなくなった。千人規模の移動が行われたらしい(9日)等々。錦帯橋河畔は9日は花見客が6万5千人も出たが、気がついてみると例年より米兵たちの数が少ない。少ないといっても賑やかに酒を飲んでいる兵士2、3人にそれとなく話しかけてみると、ベトナム出撃の危機感はほとんど感じていないようだ。岩国の一般の空気は、米兵をも含めて、基地の存在そのものにも、核の持ち込みへの疑惑にも、ベトナム直接出撃にも、ニュースとしての衝撃を感じたとしても、事柄そのものが持っている驚くべき異常さにまで立ち入って反応を示さなくなっている。ここに至るまでにはそれなりの原因はある。だが、私は基地そのものに対する素朴な違和感をどこまでも大切にしていきたいと思う。そしてこれは岩国に住む市民の義務だと思っている。その違和感が何を根拠にしているのか、それは各人が確かめてゆかねばならない。各人のもつ心の深い経験が開かれたものとして交わされねばならない。私は私なりに、基地の存在をそのまま容認していることはベトナム戦争への加担者となる意味で、自分の罪責のようなものとして、「基地」を経験している。これは私の基地を見る目であるが、こんな視点から、反基地、反軍、反核、の活動を多くの人たちとやっていくつもりである。

 岩国に反戦GI運動が起こってきた2年前の春、一人の兵士は「岩国基地の兵士たちは、秘密の場所としてではなく、誰でも来られる開かれた所として自由に話が交わされる場所が欲しいと望んでいる。コーヒーショップ、普通の家、教会など…」と訴えてきた。そこで言われている「自由に」とは、兵士という枠を超えてということであり、戦争や軍隊への疑問を含めてということであった。そのような場が軍当局や支配者にとっては「危険な場」であることは言うまでもない。兵士たちが、兵士たち同士、また日本の市民と自由に話し合うことだけで危険視される岩国において、コーヒーハウス「ほびっと」の存在は、存在それ自体が驚きである。2年前のことを思うと、身に沁みる驚きである。私は、岩国に住む者として、この驚きの感覚を日常的な慣れの中に風化させてはならないと自らに言い聞かせている。こんな感覚で「ほびっと」を見つめることがまた市民の義務だと思っている。「ほびっと」を支えている多くの人々の意志と力、それは一つの枠で締め括れるような閉ざされたものではなく、放物線が幾重にも重なり合うように中心を形作りながら周囲の広がりへと開かれて存在している。その広がりの大きさが、これからの「ほびっと」にとって大切だと思う。現地岩国の一市民の立場から、各地の方々にご支援をお願いしたい。

 まだ、みんなが「ほびっと」の改装に携わっていた頃、中を窺うように警戒の目を持って眺めている一人の中年の人と道端で1時間ほど話した。赤軍派の一味ではないか、と疑う彼と話しているうちに、在日朝鮮人である彼が戦争中にいかに苦しい目にあったかという体験談を聞くところまでいった。FTAショウの際、市議会でジェーン•ホンダという暴力団に体育館を使用させるのはけしからんという質問が保守系議員から出された岩国であってみれば、味方であるべき市民が、ベ平連、即ち赤軍派危険人物と考えるのも無理からぬ時勢かもしれない。その雰囲気作りに奔走する為政者の力に抗して、私たちは戦争に加担しない当たり前の市民の感覚を、岩国で広げていきたいと思う。


「ほびっと」ぼくに何ができるか?

「ほびっと」から


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