阪神淡路大震災から学ぶ!今、わたしが考えるべきこと(2011 講演要旨)

2011.6.25、明治学院同窓会横浜支部総会 
於メルパルク横浜、11:50-12:25(35分)

(明治学院教会牧師、77歳)

序.東日本大地震は、マグニチュード9の大地震、巨大津波、三県の広範囲被害。さらに原発事故が重なった巨大複合災害。

 阪神淡路大地震とは比べる事は単純にできません。それでも、1995年、神戸市中央区で「阪神」をまともに体験し、渾身の救援活動の経験から、今、私が考えるべきことを4点申し上げます。

1.死者を記憶する事

 何故「彼、彼女」が亡くなったのかそれは不条理です。不条理の死を「記憶する」事は生かされている(生きている)者の責任です。

「記憶とは何か」。常に死を覚え続けること。過去の出来事を「現在化すること」。

 神戸という街は日本の近代化の明るさが表に出た街でしたが、震災以来、「死」を記憶する街、「碑」のある街になりました。

 過去を「思い起こし、心に刻む」事は歴史を創ること(記念行事[礼拝]、こども追悼コンサート、のこと)。

2.地震は弱者を襲う。

「阪神」の死者は主として住宅格差被害。「富国強兵」の近代政策、戦後「経済成長」での底辺弱者が特に大きな被害を受けた。高齢者(孤独死)、生活保護受給者、外国人、障害者、子ども(518人)。

 復興・再生には弱者からの視点が欠かせないが、神戸の場合、行政「“神戸市株式会社”と市民は揶揄」の復興政策は「経済成長」強者優先であった。(例:市営神戸空港建設3400億を優先させた)。

 参考『地震は貧困に襲いかかる』(いのうえせつこ著、花伝社)。弱者の視点を忘れないで。

3.出会いを大切に。

 出会いは「横社会」「コミュニティー」の基本。縦社会(権力関係に組み入れられる人間の在り方)と横社会(助け合い、支え合い、個人と個人が対等に出会う)の攻めぎ合いで、どこに身をかけていくか。災害では普段は見えない横社会の底力を持つ人(含むボランティア)が現れてくる。

4.「阪神」に無かったこと、原発被害。

 原発はエネルギー問題ではなく、人類の「命」の問題。生命にかかわる価値観の問題。廃棄物処理の方法がない。”絶対安全”な原発は不可能。放射線被害(特に内部被爆)は遺伝子に作用する。

「脱原発」が人類の選ぶ道。明治維新、第二次大戦(敗戦)でも変わらなかった日本近代の価値観の転換が今迫られている。

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