2005.4.21 執筆、掲載誌不明
(2004年3月まで川和教会代務牧師、日本基督教団教師、71歳)
穏やかで、澄んだ、懐かしいまなざしの小川さんは、私の心に生き続けます。
「以前からキリスト教に関心をもち聖書などを斜読したりしていた。……偶々(たまたま、若き日)今は亡き寺田秋水(あきみ)牧師のころ川和教会になじんでいたこともあって、昨年3月末ごろから川和教会に通いだした。そこで、礼拝に参加し、説教を聴聞し、教会の方々の行動と発言に接しているうちに、……『キリスト者として生きよう』と決意」(川和教会報)
を与えられたと言います。
翌2003年3月9日、受洗(授洗牧師・岩井健作)。
その小川さんの訃報を、2005年1月12日の朝日夕刊が記します。
「小川 剛(おがわ・たけし)さん = お茶の水女子大学 名誉教授・社会教育学。9日、心筋梗塞で死去、71歳」
小川さんの信仰は、教会の交わりの中に身を置いて、イエスの真理を味わいつつ身につける求道の生活でありました。
黙々として、みんなの中の隠れた一人として身を置く振る舞いが教会に残された遺産です。
小川さんと私とは、同時代を生き、共に戦後民主主義の落とし子です。
1970年代。小川さんは大学で、私は教会で、という場の違いはありますが、学生や若者の問題提起にいささかの心情的共感を寄せました。
私は40年あまり幼稚園園長として幼児教育の現場にあり、小川さんは「お茶の水女子大学附属幼稚園」の園長でした。
私が川和保育園の子供たちの礼拝で説教をするのを聴き、説教はやはり牧師の役目ですね、とにこやかに笑っておられました。
幼児の生活を「遊び」とし、その環境は「水と太陽と土と、そして緑の樹々に溢れる自然」だという川和保育園の寺田信太郎園長の教育方針に心からの賛意を表しておられました。
自然派なのです。
薪で風呂を沸かし、畑を作り、都市化した川和町では珍しい屋敷の竹藪で筍(たけのこ)を掘り、また晴耕雨読の書斎人でした。
天上の人・小川さんに平安あれ。
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