さまよい(2003 説教要旨)

2003年7月13日 川和教会礼拝説教
説教要旨、配布レジュメ

(川和教会牧師代務者2年目、健作さん69歳)

ヨブ記 12:1-25
「道もなく茫漠としたさかいをさまよわせられる。」(ヨブ記 12:24、新共同訳)

1.旧約聖書の中のヨブ記はどのような書物なのか。おさらいをしておきたい。旧約聖書のギリシャ語訳聖書(セプチュアギンタ)の分類では、4区分の第3部門「詩歌と教訓」。元来のヘブル語の書物は「律法」「預言者」「諸書」の3区分の3番目「諸書」に分類される。

2.「律法」は神の超越的関係。「預言」は神の時代との関わり、「諸書」は、文学・詩歌など人間の経験における神を語る。

3.ヨブ記は「諸書」、執筆年代は、紀元前400年頃(原資料に後世の挿入部分がついている)。1ー2章は、古い民間伝承を基にした散文の物語。3ー27章はヨブと三人の友人との対論。宗教を限りなく功利主義(因果応報)からとらえる通俗論に対して、正しい者が苦しみをうけるという人生の不条理を、個別的・実存的に問い、苦難の意義、人間の被造性の意義を探る。全体は戯曲の形式を持つ文学。

4.現代にヨブ記を読む意味を、一人一人が、また教会は考えたい。

5.12章は、友人ツォファルに対するヨブの反論。むき出しの「神」論争が展開される。友人はヨブに「神に逆らう者の目はかすむ(11:20)」と責め、諌め、分別を教える。ヨブは苦難の中から自明の神が見えないにもかかわらず「神と共に思慮分別はある」(13節)と語る。

6.「しかしなお」という翻(ひるがえ)りを、ヨブは幾度も経験する。友人は「神」の分別を語りながら、身近なヨブに冷たい。ヨブはなお「共にある神」の思慮分別を求める。彼は苦難の彼方に、神がいますことを疑ってはいない。「聖書は人々に神の無力と苦難を指示している」(ボンヘッファー『抵抗と信従』p.242)という言葉を思い起こさせる。逆説的である。ヨブの苦難は、自明の神、自分に抱き込まれた神ではなく、苦難と共にある逆説の神への切なる求めへとつながる。分別ある民の頭の「さまよい」も神の業の一つの道程であるという。「道もなく茫漠としたさかいをさまよわせられる。」(ヨブ記 12:24、新共同訳)

7.岡山盲学校の教頭、竹内昌彦先生の体験と生き方から教えられたこと。彼は宗教に関わる話はしなかった。しかし、極めて宗教的であった。

8.祈り。神様。「ほんとうに重要なことが見分けられるように」(フィリピ 1:10)。わたしたちは苦難の中でさまよいます。しかし、なお、あなたが共にいてくださることを信じます。私たちも、イエスに従い、苦しみを負う人達に寄り添うことができますように。主の御名によって祈ります。

(2003年7月13日 川和教会礼拝説教)


説教原稿は8ページ

礼拝説教

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