「君が代」に喰われまい(1977 投稿)

1977年8月21日発行「岩国市民タイムス」p.4 掲載

(岩国教会牧師12年、健作さん44歳)

1.経過

 文部省は6月8日、小・中学校学習指導要領の改訂版を発表し、その中で「君が代」を国歌と規定した。この改訂版は他にも「核」問題と「公害」問題を骨抜きにしたが、平和教育団体などの反対で、7月23日の正式告示には後二者は消された記述が復活した。しかし6月以来この二者以上に抗議が集中した「君が代」は頑として訂正されはしなかった。国歌明記については、文化、教育、歴史、憲法、児童、婦人、青年、労働、宗教、マスコミ、平和等々の101の諸団体が抗議し文部省に申し入れた(27日)。これに先立ち、社会党、公明党各委員長の反対表明(14日、18日)。日教組は次の2点で文相に撤回を申し入れた。① 国歌は、憲法の理念の実現を目指して全国民一致の総意に基づいて制定すべきものであって、政府の一方的判断で特定の歌を国民に押し付けてはならない。② 国会でも、教育課程審議会でも審議されなかった「国歌」を学習指導要領で規定したことは、合法的民主的手続きを無視するものであって許されない(20日)。しかし、いささかも訂正されなかった。国会で討議などしていたら到底出来ないであろう政府の宿願をこういう手段でやってのけたという深い根がある。この根っこに目を光らせなければならないと思います。

2.この道はいつか来た道

 村上重良さんという有名な宗教学者が岩波新書に「天皇の祭祀」という本を書いていますが、「日の丸」と「君が代」そして「元号」「国民の祝祭日」について、それがいかに天皇中心の国家を作る道具立てであり、「国歌」「国旗」を学校教育を通して普及徹底させたことは、政府の国民教化の一貫したやり方であったことが詳しく述べられています。「君が代」の出来た経過や果たした歴史的役割などはその本にゆずるとして、象徴天皇制のもとで、天皇を祝うのは国民の繁栄を祝うことにつながり、国歌として当然という意見がありますが、「君が代」はそんな勝手な解釈を許さない内容を持っています。

 私など戦争中、国民学校生徒だった者の使った「初等科修身2」には「この歌は、天皇陛下のお治めになる御代は、千年も万年も続いてお栄えになりますようにという意味で、国民が心からお祝い申し上げる歌であります」と国家的・公的解釈があります。天皇を祝うことは国民を祝うことだというすり替えは、既成事実の積み重ねによって、国民主権をおろそかにして、天皇制国家の復活を目指すものと考えざるを得ません。天皇制国家を利用して自分の地位の安泰を計ろうとする人たちは決して国民の多くではないはずです。けれどもなんとなく上から押されたり、長いものには巻かれろ式の成り行きに身を任せる生き方が、既成事実というものを支えていきます。「『君が代』を国家とすることに反対する集会」で、戦後「『君が代』を斉唱することが望ましい」という文相談話に反対した青年教師たちが、今現場の校長をしていて、その校長会が今回「国歌」規定に賛成している事実をあげ、金沢嘉一氏は「昔の精神はどうしたか」と言っています。痛い言葉です。お互いに国民主権の根っこを「君が代」に喰われない精神を持ち続けていきたいと思います。少なくとも国歌としては歌わないで、そういう仲間を多くしていくことだけでもやっていきたいと思います。

(岩井健作)


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