岩国教会報「泰山木」1965年3月号所収、発行者 高倉徹
(4月、高倉牧師は教団に、健作さんは岩国教会に、健作さん31歳)
「岩国を去るに際して」高倉徹
15年8ヶ月に亘る岩国での生活も、愈々(いよいよ)終止符をうつ時が近づいてきた。多忙な出発の一時、求められるままに感想を書くことにする。
与えられた務めを、貧しいながら精一杯やっている中に思いがけなく時を過ごしてしまった。許されたら、いつまでもこの地で働かせて頂きたいと思っていたので、この度の教団の仕事につく事は不本意であった。然しこばみきれないものがこの度の要請にはあったので、ようやく重い腰をあげることになった。もっとしなければならなかった事が沢山のこされている。特にこの4年間、教区のために出かける事が多く、殆んど田口、宮本両先生におまかせして、牧師の職をおろそかにした事を、教会に対して相すまなく思っている。教区の伝道幹事を兼ねながら牧会にたずさわる事は、教会にとって大きな犠牲であった。しかし長老をはじめ、会員の方々のあたたかい理解と協力によって、教会も欠けをおぎなわれ教区の諸教会に少しでも奉仕をゆるされた事は深い感激である。
岩国では、生涯の最も大事な時期を過ごし、微力なものが教会とともに成長させて頂き、私たちにとって決定的な意味をもつ土地となった。主の御業のための労苦を共にする事によって結ばれた交わりは消え失せる事はない。これから場所は異なるけれども、私たちをむすびつけられた主に対して、お互いに誠実に生き抜くならば、いつまでも近くある事が出来るであろう。
8年前、二つの教会が合同して以来、枡田、田口、宮本の三人の先生方には、夫々適切な協力をして頂き、大過なくすごす事ができた。副牧師、伝道師としてのめだたない、しかし労苦の多い御奉仕なしに、今日の教会を考える事はできない。去るに際して感激を新たにするものである。新しい会堂と幼稚園を与えられて一歩前進しようとされている枡田先生、下関で開拓同様の困難な伝道と取り組んでおられる田口先生、新しい抱負を持って萩に行かれる宮本先生の一つ一つの働きの上に御祝福を祈るものだ。
岩国で学んだことは、はかりがたい。その中で特に言わなければならない事は、弱い、欠け多いものを赦し、励まし用いたもうた主の恵である。失敗や、ためらいや、行き過ぎの業を貫いて、とりなし支えたもうた主の鮮やかな導きである。私を待っている教団の仕事は多くの困難が予想される。一個教会の牧会から離れて、教団の全体教会に仕える事が、どういうことになるのか、充分のみこめないまま現在の心境は「行くところを知らずして出て行く」という御言がぴったりする。ただ今日まで、しばしば壁にぶつかって、たじろいだものを引っぱって行って下さった主が、これからも導きたもう事を信じて、新しい務につこうとしている。これからも祈りの中に覚えて頂ければ幸である。
後任牧師として、教会が一致して願っていた呉山手教会の岩井健作牧師をお迎えする事が出来るようになった事は感謝である。呉山手教会には、岩井牧師が推薦された広島教会の筒井伝道師が赴任される事も決定した。諸々の困難が考えられた後任牧師の問題が、呉山手、広島両教会の協力によって、スムーズにはこぶ事のできた事は幸であった。両教会の配慮を岩国教会は感謝しなければならない。
岩井牧師を迎えた教会、近藤さんにバトンを渡した幼稚園の新しい態勢に、私たちは心のやすらぎを覚えている。穴だらけの教会が次第に整えられて行く事であろう。新しい夢をもって、岩井牧師を中心に、教会と幼稚園が愛する岩国の地に深く根を下ろし前進するよう心から祈るものである。
(1965年3月 岩国教会牧師 高倉徹)
呉から岩国へ(1965 岩井健作)
1965年4月4日 日本基督教団呉山手教会 週報

