1962(昭和37)年8月11日「基督教新報」掲載
(牧会5年目、呉山手教会牧師3年目、健作さん29歳)
さてイエスはそこから進んで行かれ、マタイという人が収税所にすわっているのを見て「わたしに従ってきなさい」と言われた。すると彼は立ちあがって、イエスに従った。(マタイ 9:9、口語訳 1955)
Ⅰ
もし、聖書を「ルーヴルを中心とするフランス美術展」といったごときものにたとえるとするならば、このテキストは「福音書」という一室の、一枚のデッサンのごときものだと思う。たとえば、16cm×7cm という、はがきにも及ばないロダンの小品である。しかも、さらに愉快なことは、オーディオ何とかという、雑音を出すにすぎないような機械の解説などが、この作品を理解するのに全く無縁だということである。
”ヴァレリーが、デッサンというものを、どう考えているか、とドガに質問したところ、ドガは「デッサンは物の形ではない。物の形の見方である」と答えた。デッサンは、カメラが運動する物を、形にまで寸断して、とらえあげた写真ではない。物の動きを目が追い、その目の動きを鉛筆を握った手が追う。どんな観念も、そこには介在しない。それが物の動きの最も正確な知覚である。「デッサンとは、物の見方である」とは、そういう意味ではあるまいか。”ー これは、小林秀雄のドガについての所論の一節であるが、まことに示唆に富む。
Ⅱ
さて、ぼくたちも、このテキストをカメラの目をもって対象化してはならない。物を眺めるように見たからとて、そこから何か響いてくるというのだろうか。しかし、精神とか主体とかが極度に摩滅させられている巨大な時代状況にあって、今日もまた、たずさえて生きねばならぬ自分を、じっくりとのぞき込んだ目で、ちらっと9節の物語を追ってみよう。そのとき、ぼくらは、驚くべき動きを追って筆を走らせた一枚のデッサンに類するものに出くわすのである。そこを流れている動きは、物理的ではない。いのちあるものの動きである。
イエスは進んで行かれる。その視線がすわっているマタイに注がれる。そして「わたしに従って来なさい」と呼びかける。するとマタイが立ちあがって、イエスに従った、というのだ。すわっているというマタイの姿に無限の生活の重さを見るといったら読み込みであろうか、しかし、彼も「美しの門」のそばにすわって施しをこうていた、生まれながら足のきかない男(使徒 3:1-10)と同じように重たくすわっていたに違いない。その彼が立ちあがって、イエスへの追従(ナッハフォルゲ)を開始したのである。
彼の姿勢の質的転換は、彼の決断によるものであろうか、それとも意志力によるものであろうか。ところがテキストは、この飛躍を「すると」という一語で、いとも軽やかにつないでいる。「すると」というありふれた接続詞の前で、自己へのこだわりも、ニヒリズムも、息の根を止められているのである。信仰とは決断であるとか、飛躍であるとか、よくぼくらは大げさなことを言う。しかし、この「すると」という言葉の背後に働いている驚くべき力への洞察力以外に何があるのだろうか。全く単純な事実への洞察である。しかも、それは一つの動きを追って、画紙に鉛筆を走らせるように、手を動かし、身体を動かし、生活することでたどる洞察なのである。
Ⅲ
新約聖書は、イエスの復活の出来事を、ぼくたちの主体の真理とせしめるためにさまざまな語りかけをする。たとえば、
「あなたがたは、この世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている」(ヨハネ 16:33)
「眠っている者よ、起き上がりなさい。死人のなかから、立ち上がりなさい。そうすれば、キリストがあなたを照すであろう」(エペソ 5:14)
ここに出てくる「しかし」とか「そうすれば」という接続詞は、主体への迂回路のごときものである。そこでは、実存のモティフがきわめて大切にされ、眠り(日常性への埋没)、悩み、死(孤独)、断絶、深淵が強調される。そのモティフの深化を媒介にしながら、主体の希望として福音がときあかされる。
だが、収税所のマタイの物語は、そんなことにいっこうおかまいなく、「すると」という等位接続詞がこの深淵をこえてゆく。前者が一つの論理であるならば、これは作品である。全く完結しているというほかはない。アウグスチヌスは、この「すると」を33年かかって歩んだ。考えてみれば、主体とか、応答とか、ぼくらのものをいっさいかかえ込んでしまっている強烈な出来事として、イエスは進んでゆく。ここに目を開いて、短い接続詞をたどることこそ、ぼくらの課題である。
Ⅳ
今日、日本のキリスト者が、マタイのごとく「立ちあがって、イエスに従う」としたら、その内容は具体的に何であろうか。
まず、日本の現状をとらえようとすれば、ぼくの住んでいる"呉"などは、適当な材料であろう。というのは、明治以来の「富国強兵」とともに発展し、戦災、敗戦、占領軍の駐留、を味わい、うたい文句としての民主主義、自由、平和が、ブームでさっと通り過ぎた。しかし、昭和25年から29年の朝鮮戦争で事態は決定的に変わった。"戦争はもうかる"。補給基地の余得に潤った市民の印象は、戦争体験の挫折を一掃した。ここを境に日本の歴史は大きく右旋回して、民主化も、平和も、社会性も、基本的人権も、一人ひとりの庶民から上滑りを起こしてしまった。そして次の世代を託す教育は、差別、競争、支配を激化しつつある。これがぼくらを囲む歴史状況である。
さて、このような状況で、人格、人間、人権が重んぜられ、民主、平和が根づくところまで国を作りあげてゆくのは、国民の課題であるが、共同してその戦いを進めてゆく核のごときものにキリスト者はなれないであろうか。
マタイは、イエスの招きによって孤立から立ちあがって、イエスを囲み、彼の家で(マルコ 2:15)弟子たちや他の多くの取税人や罪人と共同の食卓についた。そこでは、パリサイ人たちが認めていた、一般的な、既成の境界は破棄されて、彼らは仲間として、共同できる人間としてつながれている。しかも、イエスに従ったというマタイの内側には、イエスの苦難を身をもってたどるという実存者の姿勢が芽ばえていたに違いない。
実存者の姿勢を確保しつつ、強烈なイエスの復活の事実を歩み、おのが持ち場で、共同できる人間の核になってゆくことこそ、日本のキリスト者の方向ではあるまいか。既成の秩序や境界を越えて、全く違った視点で隣り人に出会い、そこに一つの戦列を共同して生み出してゆける人間となることこそ僕らの課題である。
(呉山手教会牧師 岩井健作)
