1982年2月21日 神戸教会礼拝
「牧会祈祷」原稿
(神戸教会牧師4年、健作さん48歳)
天の父なる神
あなたは主イエスによって、み顔の光の中に我らをおき給ひました。
主イエスは、この世の闇のきわみで、そこで責任をとり、十字架の死にきわまる生涯を送られ、その全てのわざを通して、あなたの栄光を示されました。そのことを覚え、み名を讃美いたします。
今、私どもは、一週間の生活を終え、み前に来し方を省み、心に抱いたこと、また、口のわざ、手のわざ、あるいは何もなさざりし故に犯せしとがを覚え、み前に懺悔いたします。
私どもは、聖書が原罪と呼んでおりますように、自分の過ちや意志ではなく、存在することが人を踏みにじっているような社会と歴史の構造の中での罪を負っています。主イエスのとりなしの故に、赦しを切にお願いいたします。
歴史の主なる神、主はこの世界に富める国と民族、そして一方に、貧しき国と民族、また階層のあることをご存じです。聖書に示された神は、出エジプトにおいて、バビロニア捕囚において苦難の民の側に立たれ、そこに深い意義を示し、解放をお与えになりました。今、私どもの民族は、富める国のうちにあります。このことの故に驕ることなきよう、自らの歩みを正していくことを得させて下さい。私どもを、それぞれは人生の苦難の経験を与えられていますが、それに照らして歴史の中で苦難を経験する民族や人々に通じる心を持つことを得させて下さい。
父なる神、教会暦の上では、この24日(水)には四旬節(レント)を迎えます。主イエスが40日荒野で試みにあわれたことを覚えて、この日々を備えの時として、受難週と復活祭を迎えることができますように。
生と死の全てをみそなわす、いのちの主よ
過日、私どもは教会の肢である桜井いし姉妹をみ許におくりました。主の守りのうちに、みたねに相応しい生涯を送り、年老い、寝たきりのままでありながら、多くの人々の介護を受けつつ、よきあなたの証し人であったことを感謝いたします。遺族の上にあなたの慰めがあり、また姉妹の信仰が遺族の中に継承されますようにお導き下さい。
(1982年2月21日 神戸教会礼拝「牧会祈祷」岩井健作)

