兵士であるより人間であることに – 兵士への牧会に生きる -(1977)

1977年7月9日発行「教団新報」掲載、
現代の辺境と教会(131)
”米兵士への牧会 NCC岩国兵士センターの働き”

 

(岩国教会牧師12年目、健作さん43歳)

 ベトナム戦争を遂行させた世紀の権力と機構の渦の中で、米兵士達も被害者、加害者、あるいは共犯者として呻吟していた。生理的と言ってよい反抗のエネルギーは脱走、暴動、不服従、叛軍反戦運動の組織化として基地を覆った。

 岩国も例外ではなかった。今まで革新陣営が行ってきた基地撤去即ヤンキーゴーホームの運動とは別に兵士の叫びに呼応する運動が、閉塞していた市民の間から、まさに彼らによって引き出されるように起きてきた。

 国内、国際的な支援も始まっていった。兵士であるより人間であることに目覚めていった若者たちは、軍隊体制内の牧師(チャプレン)を信用しなかった。チャプレンの協力で運営され、退役軍人の牧師が館長の「兵士センター」も例外ではなかった。逆に日頃は兵士たちとは関わりのなかった地元教会に緊急の集会場所提供の求めがあり、宣教師(R.W.マクウィリアムズ氏)を加えて教会は彼らの運動に関わっていった。我々は館長カーパー氏を含めて「兵士への牧会」を問題とした。良心的兵役拒否や軍隊離脱、反戦叛軍まで含めて兵士の悩みに関われないとすれば、そこでの牧会は何なのか。兵士センターが兵士に良質の慰安を提供することで軍隊補完をするのであれば、閉鎖こそ望ましいのではないか。

 その頃、米国NCCは経済的理由でセンター閉鎖を考えていた。1971年3月、東京で「在日米兵へのミニストリーに関する協議会」が開かれ、右は米国NCC、左はベ平連の米兵支援関係者まで含めて意見が交わされた。その後、日米NCCの間で長い折衝が続けられた。結果、館長人事、方針、予決算審議、現地委員会任命の責任を持つ日米対等の運営委員会(米側5人、日本側5人、委員長山田襄氏、1977年には沖縄の同種センターの運営も含めて「在日米兵士へのミニストリー委員会」と改称)が発足した。日本NCC総幹事・中嶋正昭氏の卓見と労に負うところが大きい。館長も在日宣教師が当たり、M.マクウィリアムズ夫人から聖公会のB.ボルドウィン氏に継がれ、休息、相談、娯楽、旅行、学習プログラムが黒人宣教師D.マッカーサー氏とその夫人、および職員達により熱心に提供されている。黒人兵と在日韓国教会の人たちとの食事の会や、差別問題についての討論、韓国民主化闘争のスライド上映などが最近行われた。基地当局はセンターに神経を尖らせている。

「兵士への牧会」は「国家と教会」の問題と関わりがある。国家に兵役がある限り、兵士への牧会は不可避である。しかしそれが直ちに従軍牧師制度の受容にはつながらない。米国を含めてこの制度を持つ国の教会への素朴な問いである。もちろん個としての魂がある限り、いかなる制度の下であれ牧会者の働く余地は与えられている。韓国の朴独裁政権下においても、その軍隊の従軍牧師の中には、朴の軍隊になるのではなく、民族の自立のためにと宣教の働きをしている人がいると聞いている。この制度を持つ国の教会に制度解体への問いをつきつけるとすれば、それは我々の国の反靖国の闘いを、自衛隊を見据えつつ、天皇制イデオロギーとの対決という巨大な課題として自ら負うことと裏腹であると思う。

 70年代初めの反戦叛軍の兵士たちのある部分は、軍隊解体を見据えた闘いをしていた。国家が存する限りそれは無限に遠い目標であるに違いないが、軍隊を出たからといってやはり国家秩序で切り捨てられていく者にとっては、現実的な闘いであったと思われる。従軍牧師制度への疑問もその視点と重ね合わせねばならない。施設としての基地が撤去されることだけを求めていくことで事足れりとするのではなく、兵士たちから聞き兵士たちに呼びかけて、兵士であることの根底になお神の前での人間であるようにとの招きがあることを知らせていくことが、兵士への牧会であるまいか。現実は道はるけくとも。

(岩国教会牧師 岩井健作)

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