1971年10月号「呉YWCA会報」掲載
(岩国教会牧師6年目、健作さん38歳)
晴れた日には、はるか宮島の大鳥居もみおろせる広島県廿日市(はつかいち)の極楽寺山の中腹に、特別養護老人ホーム清鈴園(せいれいえん)が開園した。このホームは、特に広島で原爆をうけ、身寄りを失い、年老いてひとりぼっちになった方々を憶えて、日本キリスト教団が「戦争責任告白」の具体的意思表示として建設を決意し、その決意を支持し、それによって生み出されたものである。そのもとになった「戦争責任告白」とは何だろうか。
私は、これから日本でキリスト教というものを学び信じ、自分のこととしていこうとする場合、この「戦争責任告白」とは何か、という問いをぬきにしては、この国の土壌と生活に深く根ざそうとするキリスト教というものを知ることはできないのではないか、と思っている。
元来信仰の告白というものは、その表現において伝統的な概念や思想を用いるものであるが、それが自分自身の告白であるという点が大事である。新約聖書の中のイエスの弟子ペテロの例をとると、彼はピリポ•カイザリヤ(領主ピリポがカイザルに捧げた街)という政治的観念にいろどられた街で、人々がイエスの周りから、権力の干渉による身の危険を感じ、去り始めたとき、自分たちは、単なるラビ(ユダヤ教の教師)の弟子ではない、イスラエルの人たちが伝統的に待ち望んできたメシア(キリスト、神に油注がれた者、すなわち救い主)に従う群れなのだ、と自覚的な告白をした。それは「あなたこそキリストです」(マルコ 8:29)という告白であった。
マルコ福音書によれば、イエスはこの告白を肯定もせず、否定もしていない。ただ沈黙を命じている。それは、告白というものが、◯X式答案のように、正しいか、間違っているかが決められるものではないからであろう。ここでは「キリスト(メシア)」という概念を用いたということよりも、他の人々が去っていく中で、自分なりのイエスへのかかわりが表明されたという点が大切である。ペテロのキリスト告白は、のちのち内容は修正されていく。だが、かかわりの真実がなかったならば、その修正すら許されない。
信仰告白というものは、特定の概念による教義の承認ではないと思う。用いられることばや概念というものはいつも歴史的制約の中にあるのだから、同じ教義を承認していてもその内容には様々な層がある。そして、その枠の中で内容についての思想的討議が可能でなければならない。だから信仰告白において大事なのは、その告白によって、どのような自覚的告白主体が、具体的に歴史の中で働いているか、ということである。
その意味で「戦争責任告白」は日本キリスト教に様々な波紋を投じながら、キリスト教とは何なのかを、もう一度問わせるものであった。キリスト教に関心をもつ方々が、このあたりへのかかわりをしっかりと持ってくださることを切に願う。
(「教団戦争責任告白」から4年、1971年 岩井健作)
教会と清鈴園(1973 西中国教区)
