靖国神社問題と教会(1968)

1968年9月10日「基督教世界」巻頭言

(岩国教会牧師3年目、健作さん35歳)

 靖国神社(国家護持)法案は、次の国会に自民党の議員立法として出されようとしている。法制局では憲法との抵触を避ける解釈を充分練っていると聞いている。問題点を教会の現場から二つの面で考えてみたい。

 第1点。靖国法案は戦争への道である。法案そのものが戦争への危険と直接短絡はしないが、それが果たす客観的役割において戦争への道である。第二次大戦の関係国の死者は将兵が2000万、一般人3000万と言われるが、これらの死をどう受けとめるかは、戦後に生きる者たちの大きな課題である。その死の意義を真実に捉えるためには、その死を直接肯定的にではなく、平和を媒介するものとして弁証法的に受け取らざるを得ない。特に個人の主観的意図とは別にその死が侵略戦争への加担となっている場合はそうである。無意味の死を深く痛みと共に捉え「あやまちはくりかえしませんから」という生きた者の決意を通してこそ、その死は活きてくる。その意味で「戦争の惨禍が起ることのないように」(憲法前文)との決意と切り離して戦歿者の死を理解すること、すなわち戦歿者の死の直接肯定的理解は戦争を暗に肯定することなしには成立しない。靖国法案の理解は、まさにそれである。法案(昭和41年4月18日)第1条の目的には「靖国神社は、戦歿者および国事に殉じた者を公にまつり、その英霊を尊崇すべきであるとする国民感情にかんがみ、これらの人々に対する敬意と感謝の意を表すため…功績をたたえる儀式行事を行ない」とあり、戦歿者の直接的尊崇をうたっている。

 歴史的にみて、靖国神社創設の理由を、国事に殉じた者の慰霊よりも、むしろ生きている兵士の士気を鼓舞することにあったと寺田利氏は詳論している(「福音と世界」1968年5月臨時増刊 靖国特集 p.51)。このことは、靖国神社が日本の歴史において果たしてきた客観的役割を示しており、今日またその役割が担わされている。それは、国民を憲法第9条の不戦の精神から引き離し「愛国心」(体制への忠実さ)と「国防意識」へと転換させるための精神的基盤を作ることにある。戦前、権力による国論の統一は国家神道をもってなされたが、その復活に道を開く役割もこの法案は持っている。戦争への道備えである。

 家永三郎著『太平洋戦争』(岩波書店 1968年2月)によると「戦争はどうして阻止できなかったか」という問題に対し、「戦争に対する批判的否定的意識の形成の抑止」が、①言論の抑圧、②公教育の権力統制、の二つによってなされたためと指摘されている。今日、マスコミの統制や教科書検定問題などを通しての権力による戦争批判勢力に対する抑止力は強大である。靖国法案がこのような状況と組み合わさって果たす役割は計り知れない。法案そのものが戦争に短絡しないからこそ、その本質を戦争への道として見抜くことが大切である。反戦は今日、キリスト者の社会倫理の主要な課題である。また反戦は複雑な政治課題への糸口にもなる。

 第2点。靖国法案は信教の自由を侵す。憲法調査会は憲法第20条を「西洋流に神を信じ、教義を広め、信者を教化育成するという意味」に解釈し、靖国神社がそれに該当しないという"靖国神社非宗教化"解釈を出している。これが通れば、信教の自由で保障された人権としての内的自由は侵され、靖国神社の精神が、自己の信仰とは別に権力によって強制されることになる。これはキリスト者が「神の前での自由」として確保しているところのものへの挑戦である。信教の自由はこの内的自由を法の領域で客観化したものであってみれば、信教の自由が侵されるということは、信仰者にとっては信仰を持っていることへの挑戦ともなってくる。それゆえ靖国神社法案への戦いは、信仰を持つ意味を明確にする戦いである。日本の宗教の歴史ではかつてこのような戦いが皆無に近いことを考えると、これは教会にとって「信仰の試練」である。

さて、教会の現状はどうであろうか。署名活動をとってみよう。靖国神社問題特別委員会の8月10日現在の地方別集計を見ると、教団の現住会員数にすら充たない地域が半数である。例えば東京は3万の信徒数に対して1万7千の署名数である。また多少集めた地域でも一部熱心な人たちに負っているのが現状であろう。モルトマンは、教会の希望の責任を説いて「彼がなす悪がではなく、彼が放棄する善が彼を訴える」と言っているが、本気でやらないということは、教会の罪である。この罪とどう戦うのか。靖国問題が教会に投げかけている課題はこのあたりで充分受けとめられなければならない。

 靖国法案を政治課題として阻止することと同時に、教会は信仰課題として、今日の日本の状況に、活きた信仰を示す課題を与えられていると思う。


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