呉から岩国へ(1965)

1965年4月4日 日本基督教団呉山手教会 週報
(礼拝後送別会、教団戦争責任告白の2年前)

(呉山手教会牧師5年目、健作さん31歳)

 呉の風土がやっと身につきかけた今、そして、教会の交わりの深まりの中で、一人ひとりの方々と精神の対話をし始めたばかりであるのに、岩国教会へ移るというのはあまりにも無謀ではないかという考えがいまだに心をかすめるうちに最後の日曜日が来てしまいました。

 5年という期間のあまりにも短いことをただ省みるのみです。締め括って語ることが出来るような年月ではありません。が、なお、何かを語るとするならば、手さぐりで歩んで、夢中で過ごして来たと言う他ありますまい。牧会に於いて然り。伝道に於いて然り。自己の精神と思想の形成に於いて同様です。与えることよりも、多くのものを受けて来たし、今、さらに大きな課題を与えられて岩国に赴くというのが実感です。

 ここで与えられた芽をどの様に育ててゆくかという課題をたずさえて出かけたいと思っています。与えられたいくつかのことを記してみますと、かけ出しの牧師に牧会とは何かを教えられたという意味で忘れることの出来ない教会です。眠りかける魂をたたき起こして、イエス•キリストにまだつなぎとめるという交わりが具体的にはどういうことなのか、身をもって学びました。

 省みて、欠けの多い伝道の生活でありながらも、なお、自分達の小さな働きを通してでも、キリストにあって生き始める人々を呼び起こしてゆくことが可能なのだ、ということを教えられました。

 また、1960〜65年という安保以後の日本の歴史の中で、教会がどのような方向に進んだらよいかという手がかり、正確に言えば、教会はどのような方向に進んではいけないか、という手がかりを与えられました。

 このような芽を西中国という連帯の中で活かしてゆきたいと思います。他ならぬその事が、呉で与えられた数々の恵みに応える事であり、また、一個教会の牧会を持たないまま全体教会の中で役割を果たすという全く未知の仕事に出られた高倉牧師を支えることでもあると思います。後任に筒井先生を迎えて、目の荒い5年間の牧会と伝道の上に、さらに本格的な教会の形成をなして下さるよう願ってやみません。

 呉は自衛隊の街として知られています。岩国は基地の街です。そこでは、もっと日本の矛盾が露骨にむき出されていると思います。また、そこで元気一ぱい、イエス•キリストにあって、自分のつとめをやりたいと思っています。

(岩井健作)


引用「岩国を去るに際して」高倉徹(1965 岩国教会)
岩国教会報「泰山木」1965年3月号、発行者 高倉徹



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